急逝・野村沙知代さん、本誌に明かしていた克也氏「楽天解任劇」への怒り

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 去る12月8日に虚血性心不全で急逝した野村沙知代さん(享年85)。1999年に勃発した女優・浅香光代氏(89)との確執から派生した“ミッチー・サッチー騒動”に代表されるような舌鋒の鋭さで世間を賑わせたが、その矛先は09年、夫・克也氏(82)を監督から解任した東北楽天イーグルスにも……。以下は本誌(「週刊新潮」)09年10月22日号のインタビューに答えた、沙知代さんの激白を抜粋したものである。※文中の肩書は掲載当時のもの。

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「楽天から正式に解任を告げられた10月11日、主人と私は仙台のホテルに引き揚げ、その夜を過ごしました。明け方4時頃まで一緒にテレビを観ていたんですが、30年以上も連れ添っていて初めて、主人のことを“可哀想だな”と感じました。その姿は悲哀に満ち、あまりにも寂しげで……。私は胸の内で、こう呟いていました。なにも“温かい心”を持って欲しいとは思わない――。ただ、球団のこうした残酷な処置に対して、怒りが湧き上がってきたのです。」

――就任4年目の今季、Bクラス経験しかなかった楽天を2位に躍進させた野村監督。本来であれば、16日から始まるCSに向けて、チームの士気は高まる一方のはずだった。が、そこに持ち上がったのは、周知の通りの解任騒動によるゴタゴタ。楽天のフロントは、契約が今シーズン限りであるのは既定路線だと譲らず、頑なに野村監督の続投を拒んだのだ。一体、その舞台裏では何が起きていたのか。沙知代氏の“独白”を続ける。

「11日の試合前、まず米田(純)球団代表と会った際に、主人が『僕の来年はあるんですか?』と尋ねたら、米田氏は『ありません』と一言。これが、球団から初めて直接伝えられた“解任”の言葉でした。夏頃から、自分の去就を早く知らせてほしいと主人は言っていたのに、球団からの反応は何もなかった。そこに突如、今季最終戦の11日になって、“クビ”の宣告。話し合いの場を持とうともせず、一方的に過ぎます。

 これでは、もう島田(亨)オーナーと会っても意味がない、交渉の余地はないと主人は考えていました。ところが、その日のうちに、人を介して三木谷(浩史)さん(楽天会長)から息子(野球交渉代理人の団野村氏)にメッセージが届いたんです。『三木谷さんが、“ちゃんと島田に話をしてあるから、彼と会ってほしい”と言っている。試合後に島田とも話をしてくれ。監督の言い分もあるでしょう』と。こんな話が持ち込まれれば、普通はまだ交渉の余地が残っているんだと思いませんか? だから、主人は島田氏との会談に応じたんです。

 しかし、いざその場に行ってみたら、交渉どころか米田氏と同じように『終わりです』と言うばかり。要は、球団による最後通告の現場に、主人は体よく引っ張り出されたわけです。会って話してほしいと言うからには、ひとまず主人の意向を聞いて、それを三木谷さんのところに持ち帰った上で、『やっぱり、球団の判断は解任で変わりません』と言うのであれば、まだ分かります。が、そういった手順は一切踏まれなかった。『嵌められた。わしゃ、どこまでもお人よしだな』と、主人はこぼしていました。ちなみに、私たち夫婦は、三木谷さんから食事に誘われたことすら一度もありません……。」

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