古書入札会に登場、嫁ぐ前の「嵯峨浩」未公開書簡

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「浩(ひろ)さんは特権階級の女性でしたが、激動の日中の歴史の中で、想像を絶する苦難の時代を生き抜いた女性です」(作家の本岡典子さん)

“浩さん”とは、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の弟・溥傑(ふけつ)に嫁いだ嵯峨(さが)浩さん(1914〜87)のこと。

 このほど、浩さんが結婚に際し、友人・生野久美子さんに宛て送った手紙21通と写真3枚が、古書市「古典籍展観大入札会」(11月17、18日。東京都神田小川町)に初お目見え、オークションにかけられた。このうち、3通が、溥傑との“見合い”にも触れている。

 華族の嵯峨家に生まれた浩さんは、関東軍の意向で溥傑と政略結婚をさせられる。しかし、2人は深く愛し合い、最期まで仲睦まじかったという。浩さんは、戦後16年もの間、溥傑と離ればなれとなったが、周恩来の計(はか)らいもあり、北京で再会を果たしてからは終生、生活を共にした。 

「とうとうあきらめて私は死んだつもりで国の為(ため)に結婚しなければならなくなりましたの」(37年1月21日)。「本当にもっともっと平凡な結婚がしたうございました」(同1月24日)。「御国(おくに)の為になることなら私はどうなろうと満足でございます(略)決心と覚悟がつきました」(同2月9日)。

 浩さんの次女で兵庫県西宮市に御健在の福永嫮生(こせい)さん(77)とも親交が厚い本岡さんが語る。

「婚約発表までの手紙は、揺れる内面を吐露した数少ないもの。婚約発表の日、2月9日に出された手紙からは運命を受け入れる覚悟と決意、今後想像される波乱の人生を自らの意志で生き抜こうとする強い信念が感じられ感慨深いです」

 家族にも言えなかった心の内を、友人に吐露した真情溢れる文面が、その後の凄惨な歴史を知る者の胸を打つ。

週刊新潮 2017年11月30日号掲載

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