女性皇族のお相手には外国王室を――村上政俊

オピニオン新潮45 2017年9月号掲載

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 眞子内親王殿下がご婚約の運びとなった。ご結婚となれば一国民としてお幸せをお祈りするばかりだ。しかしこのご結婚は長い皇室の歴史においては極めて異例のことであり、その位置付けをしっかりと吟味しておく必要がありそうだ。

 ご生誕の頃と現在では眞子内親王の皇室における重みが格段に高まっている。お生まれになった平成三年の時点では皇太子殿下は未婚で、東宮家にどれだけのお子さまが生まれるかは全く見通せなかった。もし男子ご誕生となっていれば、東宮家の血統が正嫡として栄えていた。しかし実際はそうならなかったのは読者ご案内の通りである。東宮家に次の次の世代のお世継ぎが生まれなかったことで、悠仁親王殿下を儲けた秋篠宮家の位置付けは一宮家から皇統を繋ぐ大きな幹へと変貌。予見される皇統の移動に伴い眞子内親王ご自身のお立場も変わった。つまりお生まれの頃は一宮家の姫宮だったのが、現在は将来の陛下の姉宮となられたということだ。ご夫君は未来の陛下の義理のお兄様ということになる。

 皇族には誰にもまして高貴なる義務を果たす責務がある。近代の皇族男子はおしなべて陸海軍人となり、戦死した方もおられた。また近代の皇女には「皇室拡大」、そして、「海外雄飛」が託された。現代はどうか。時代の風潮を反映して海外へのご志向が高まることも理解はできる。であるならば、お国の為と海外趣味を両立することができる外国王室への御輿入れも一つの在り方として今こそ真剣に検討すべき時が来ているのではなかろうか。

これまでの皇女の役割

 そもそも、近世の皇女たちは皇族や公家との婚姻を基本としながら、大きな役回りを二つ担った。一つ目はやはり祈りだ。そして、二つ目は武家との政略結婚である。最も有名なのは将軍家茂に降嫁した和宮だが、水戸斉昭に嫁いだ例もありそこで生まれたのが慶喜だ。受け入れた仏門、武家に共通するのは自らの格式を高めたいという思惑だ。

 その後、明治維新によって姫宮さまたちの命運も大きく転回し始める。明治典範の大きな特徴は永世皇族制が採用されたことだ。皇族の男系子孫は全て皇族とすることが基本とされ、皇室の人員拡充が目指された。理念的に天皇親政を実現する為には人的裏付けがなければ始まらない。皇室への財政的制約が取り払われたことで口減らしとしての尼寺入りも不要になり、皇女も皇室拡大に大きな役割を果たすこととなる。明治天皇の皇女は全方が伏見宮家の流れを汲む皇族とご結婚。これを機に竹田宮家、北白川宮家、朝香宮家、東久邇宮家(昭和天皇第一皇女も輿入れ)が新たに創設された。これらの宮家は男系の系譜であることはもちろんだが、明治天皇の血統をも女系で受け継いでいる。この五組の婚姻の心はひとえに皇位継承の安定にあった。明治天皇から今上天皇まで四代、それ以前も含めれば光格天皇から七代にわたって直系継承が繰り返されてきており、現代からみればその間に皇位継承の不安があったということは想像しにくい。しかし仁孝、孝明、明治、大正と四代の天皇には成人した兄弟はなく正に綱渡りだった上に大正天皇が病弱だったので、万が一に備えて伏見宮系統の皇族を拡充する必要性は常にあった。江戸時代は時の天皇と伏見宮家の間に猶子という擬制的親子関係が結ばれた。近代は皇女たちの活躍により皇室嫡流と伏見宮系統の間に女系を通じての近親性が担保された。

 これまで見てきたように、それぞれの時代の皇女が皇位継承の安定を始め重要な役割を担ってこられたことは間違いない。その一方で現在ではほとんど顧みられることのない論点が存在する。海外王室への御輿入れだ。

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