急転直下で見送りに… 「杉原千畝」が「世界記憶遺産」に漏れたワケ

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 日本政府が推薦して初めての悲劇だった。10月30日、ユネスコは後世に伝え守るべき「世界記憶遺産」を発表。ナチスの迫害から逃れるユダヤ人にビザを発給し、多くの命を救った外交官・杉原千畝(ちうね)の世界的名声を伝える関連文書は不採択となった。登録を確実視されていた大本命が急転直下、見送りとなったワケとは……。

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「いったい何故」「理由を聞かされていない」――登録に尽力した人々の困惑を、新聞テレビは一様に伝えた。

 ユネスコに申請した岐阜県八百津(やおつ)町は、「千畝生誕の地」として記念館などを建設し、町ぐるみで登録を進めてきた。

 社会部記者が言う。

「ユネスコの採択は2年に1度で、町は昨年5月に日本政府のお墨付きを正式に得て、千畝が発給した『命のビザ』47点と、半生を綴った手記2点を含む計66点の文書記録を申請しました。手記は千畝の長男遺族が運営するNPOから提供を受けています」

 これら関連文書は、パリにあるユネスコ本部で審査にかけられ不採択となったのだが、その理由は一切発表されていない。

 冒頭にあった困惑の声はそれゆえ聞えてくるのだが、彼らは本当に身に憶えがないと言えるのか。

 そもそも、八百津町は自ら千畝の出生地としてPRしてきたが、本当は同じ県内の美濃市ではと、千畝の四男でベルギー在住の伸生(のぶき)氏(68)が疑義を唱えていた。その根拠には千畝の戸籍に記されているという動かぬ証拠があるのだが、八百津町は完全否定。長男遺族がそう言っている、手記にそう書いてあると主張し続けてきた。

 ところが、である。今年2月に八百津町はユネスコに申請した件(くだん)の手記2点を取り下げ、提出書類にある「千畝は八百津生まれ」という記述も最終的に削除。

 手記の信憑性を否定し兼ねない暴挙に出たのだ。

申請書類に疑問

 その背景を先の記者が解説する。

「手記の生誕地に関する記述について、何者かが町に都合よく書き換えたという疑惑を、地元テレビ局の中部日本放送や『週刊新潮』が報じましたが、事態を重くみたユネスコも日本側に問い合わせをしていたのです。申請書類に疑問が生じれば審査に響く。慌てた町は、きちんと反証することもなく取り下げたのです」

 コトの真相を聞こうと、町と登録に奔走した「杉原リスト」ユネスコ記憶遺産登録推進協議会のメンバーで、千畝の長男の娘である杉原まどか氏に尋ねると、

「手記は本物ですから、取り下げられた理由は分からないし事前の相談もなかった。私共も町に問い合わせましたが回答はありません。町に聞いてください」

 あくまで責任は町にあるとの主張を繰り返すのだ。

 で、当の八百津町・金子政則町長の言い分はこうだ。

「町としては、杉原さんの偉業を顕彰して貰いたいと進めてきたので、手記に拘られては困る。まずは登録を優先しようと思い取り下げたのです。私共としては、なんとかビザを登録できればと思いまして」

 手記を取り下げれば、事実上、八百津町と千畝の“縁”を文書として証明する手立てはなく、ユネスコに申請者として相応しくないと思われても仕方ない。こんな杜撰なやり方が世界に通用する筈もなかったのである。

週刊新潮 2017年11月16日号掲載

ワイド特集「ざんねんなにんげん事典」より

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