底なしの承認欲求地獄! 「繊細チンピラ」がネットに跋扈するワケ

社会新潮45 2017年11月号掲載

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 誰もが自由に情報を発信できる素晴らしい時代――。だが、ネット上で屈折した自己承認欲求は、「繊細さ」という凶器を振りかざすモンスターを生み出していた。

「繊細チンピラ」はどうして生み出されるのか。その原因をコラムニスト・唐沢俊一氏が、人間の本能と関連付けながら解き明かす。(以下「新潮45」11月号掲載の「ネットに跋扈する『繊細チンピラ』」より一部転載)

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「繊細チンピラ」という言葉は、ネット界隈では有名だが、まだ一般にはそう知られていないかもしれない。ネットで相手を叩く際の武器で、またその行為の正当性の担保として必要とされるのが自分の行動への“正義”による裏付け(相手の発言がどれほど無神経で人を傷つけるか)であり、その“正義”を惹起するのが、そういう言葉の暴力性に誰よりも早く気がつく自分の“繊細さ”である。その繊細さは、自分が傷つくというよりは、他人の傷の痛みを発見し、共有できる感性として表明される。

「あなたの発言で傷つく人がどれほどいるか、考えたことがないのか!」

 というやつである。そして、その感性による、傷つく人が本当にどれくらい存在するのかという事実はまず、検証されることがない。それを検証しようという行為が無神経で許しがたく、神聖な繊細さを汚すもの、とみなされるからである。(中略)

 言いがかりのネタは何でもいい。都々逸の文句に「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ」というのがあるが、ネットの繊細チンピラにとり、電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも、みんな他人のせいになり、糾弾すべき極悪事になり得る。

 例えば誰かが秋も深まった10月のある日、

「空が綺麗な季節になりました。去年、夫と子供と旅行した信州の空の青さを思い出すなあ。三人で食べたおそばもおいしかった。今年も行きたいな」

 とツイッターでつぶやいたとする。その発言はさっそく、ことあらば噛みつこうと構えているチンピラのえじきとなる。

「はいはい、夫と子供いるぞ自慢ですか、いい気なものですね。独身女を見下すのがそんなに楽しいですか」

 というのがまず真っ先に飛んでくる“からみコメント”だ。続いて、

「私の亭主は毎晩残業で、この何年か、旅行なんかしたことないですよ。毎年旅行とは結構なご身分だこと。旅行にも行けない人間たちがこのつぶやき読んでどういう気分になるか、考えたこともないんでしょうね」

 という“自虐がらみ”が後に続いて書き込まれる。さらに、

「私の子供はそばアレルギーで、おそば屋さんの近くにも立ち寄れません。そばで死ぬほど苦しむ子がいるんですよ。そういう子を持った親の気持ちをおもんぱかる気持ちがあったら、こんな文章は書けないと思います」

 という“おもんぱかり強要”までが来る。もっとひどいのになると、

「私の家はうどん屋です。秋になったらおそばを食べないといけないんですか? うどん屋はつぶれてもかまわないって言うんですね? なんて自分勝手な!」

 という“極論責め”にまで到達する(大げさに書いているんだろう、と思われるかもしれぬが、まあ、特徴を明確にするための多少の誇張はあれ、大抵はこんなものなのである)。(中略)

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