火打石の「香山美子」が述懐、夫「三條正人」との45年

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 その名を聞いて、懐かしの時代劇を思い出す向きも多いのではないだろうか。火打石を手にカチカチと切り火をして亭主を送り出す、銭形平次の妻役を演じた香山美子(73)。彼女の夫で、歌手の三條正人が、亡くなった。享年74。実生活ではドラマのような見送りはしたことがなかったと言うが、夫を看取った香山が45年の結婚生活を振り返る――。

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 ヒット曲「小樽のひとよ」などで知られるムード歌謡グループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」。そのメインボーカルを務めた三條が息を引き取ったのは、10月5日早朝のことだった。

「病室に着くと意識はなかったんですが、時折、手を動かしたりしていました。ドラマだと、呼び掛けに応じたりしますが、現実にはなかった」

 と言うのは、妻の香山。

「数年前から本人が“なんでこんなに浮腫(むく)んで痛いんだろう”って足の不調を訴えていました。病院を何軒かまわった末の昨年7月、足の神経がズタズタになる病気が見つかったのです」

 病名は、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症。白血球の一種が増加し、血管に炎症を起こすという難病指定されている病だ。ところが、昨年12月、その治療の過程で、もっと大きな病気が潜んでいることが判明した。それが悪性リンパ腫だった。

 抗がん剤治療を行い、入退院を繰り返しながら、それでも毎月のようにライブ活動もこなす。

「ステージで無様な姿を見せても、本人が納得するならばと、先月17日にも送り出しました。歌声はしっかりしていたそうですよ」

 だが、その2日後、容体が悪化し、再入院。月末には食事を飲みこむことが出来なくなったという。

“家庭は彼の格納庫”

 2人が結婚したのは、1973年。三條は68年から6年連続でNHK紅白歌合戦に出場し、一方の香山も松竹の主力女優として数々の映画やドラマに出演するなど、互いに人気絶頂期にあった。そのため、

「2人とも休みが取れず、顔を合わせられないこともありました。その頃は、家にメモを残してやり取りをしたり、たまに手紙をくれたり。普通の家庭とは違ったかもしれませんが、私たちの中では普通でした」

 甘い歌声の三條は、二枚目でもあり、独身時代はとにかく女性にモテた。それこそ、何人もの女性と時間刻みで付き合っていたと本人がインタビューで明かしていたほど。香山にとっては、気苦労が絶えなかったのではないかと思われるが、

「彼の女遊びに興味もなかったし、忙しかったので気にしませんでした。カッコつけで、モテるとぶっていたんではないでしょうか」

 もっとも、女性関係だけでなく、遊びはゴルフに麻雀、なんでもござれ。特に競馬に目がなかったそうだ。

「競馬歴は50年。入院中も先生の前で、赤ペン持って予想していました。亡くなる前日も携帯電話で投票していたようですし。息子が“オヤジ、こんなになってもやってた”と苦笑していました。自分が死ぬと思ってなかったんでしょう」

 聞けば聞くほど、生っ粋の遊び人と言うほかないが、

「彼がやんちゃ坊主で、私がそうではなかったから、夫婦生活は上手く行ったのではないでしょうか。家は、安心して出ていける、安心して戻って来られる場所だったのです。なんて言うのか、家庭が彼にとっての格納庫みたいな場所だった」

 時には周囲から、“大変でしょう”と言われることもあったと言う。それでも、

「うちではそれが当然の生活だと思っていました。険悪な関係ではなかった」

 夫婦には夫婦の数だけ、様々な“形”があるというが、皮肉なことに三條が病気になったことによって、見つけたものがあった。

「毎日、病院に面会に行って、夫婦らしかったなあと、今は思ったりしています。私がいなければ、この人は心根が弱くなるんじゃないかって……、必要とされているという幸せがありました。病気から、“治ってほしい”という考えが共有できた。語弊があるかもしれませんが、入院生活を始めてからが、一番、夫婦の密度が濃かったと思います」

 火打石で銭形を見送るお静とは異なるが、これもまた夫婦の形である。

週刊新潮 2017年10月19日号掲載

ワイド特集「人生の残照」より

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