『永遠の0』著者・百田尚樹が指摘する「ゼロ戦の欠陥」と「日本の欠点」

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ゼロ戦と日本人

 百田尚樹氏の小説家デビュー作『永遠の0』は、累計で450万部を超えるベストセラーとなり、映画も大ヒットしたが、一方で、「戦争を美化している」といった批判が寄せられることもあった。そうした批判をする人がどれだけ本当に実際の小説を読んだり、映画を観たりしていたかはいささか怪しいが、ともあれ未読の人は、「ゼロ戦をカッコよく描いた作品なのかな」と思ったかもしれない。

 しかし、百田氏は新著『戦争と平和』の中で、意外なほどゼロ戦について厳しい評価を下している。アメリカの戦闘機グラマンと比較した場合、ゼロ戦はたしかに最高レベルの技術の粋といってもよい戦闘機ではある。が、実際の戦争においては数多くの致命的な弱点があり、それは日本人の持つ弱点でもあることを指摘している。

 同書で指摘している弱点のうちの一つが「防御力が無い」ことだ。特に初期のものは、一発撃たれてしまえば、直ちに火を噴いてしまうレベルだった。パイロットの座る操縦席を守るべき、背中の板もスカスカだった。

 軽量化のために防御力を犠牲にしたのである。

 なぜそのような方針を取ったのか。百田氏は様々な分析を試みているが、その中でも現在の憲法とも関連した箇所を抜粋、引用してみよう。

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悪いことを考えない

 ゼロ戦の弱点に対する疑問に戻りましょう。なぜ防御力が無いのか。

 それは撃たれることを想定していないからです。「撃たれた時にどうするか」ではなく、「撃たれないようにしよう」あるいは「撃たれなければいいんだ」という思考が前提にあります。

 もちろん、撃たれないようにするのは大切なことです。速度や旋回性といった様々な優れた性能は、そのための有力な武器となるでしょう。が、戦場で相手も必死で挑んでくる以上、まったく被弾しないということは考えられません。だから、撃たれないようにしながらも、撃たれた時の対策も考えるというのは当然です。

 ところが、当時の海軍の上層部はそういうことを想定しないようにしていたとしか思えません。そんなはずはない、とおっしゃりたい読者がおられるでしょうが、ゼロ戦(その時点では十二試艦戦)の要求書の中に、防御力に関するものがなかったのですから、そう受け止めざるをえません。

 もちろん、第一線で実際に戦う兵隊たちは、上層部よりも現実的です。なぜなら撃たれて死ぬのは自分だからです。たとえば、ゼロ戦は燃料タンクに一発でも被弾すれば、すぐに火だるまになったり、爆発したりしました。これではたまらないということで、何とか防弾の工夫をして欲しい、といった要求が前線の搭乗員から何度も出ました。上層部も、もっともだと考えて、対策を検討しました。

 しかし、防弾のために鉄板を厚くするといった工夫をすれば重量は増します。すると当然、性能の一部は落ちることになり、攻撃能力は落ちます。その折り合いをどうつけるか、といった議論が昭和18(1943)年頃に海軍トップと技術者たちとの間で何度も行われました。

 議論の結論がなかなか出なかった時に、源田実航空参謀(戦後、自衛隊で航空幕僚長)が、こんなことを言ったのです。

「もうこんな議論は無意味だ。要するに撃たれなければいいのだ」

 航空部門のトップがそう言ったことで議論は打ち切りになりました。そしてゼロ戦の防弾に対する本格的な改造テーマは棚上げとなったのです(マイナーな改造はありました)。

 しかし、「撃たれなければいい」というのはどう考えても無理な話です。

日本国憲法は「万が一」を想定していない

 このエピソードを読者の皆さんはどうお感じになるでしょうか。

 昔の軍人は馬鹿だな、と思う方もおられるのでしょう。論理的思考が欠如しているな、と思う方もおられるかもしれません。

 しかし、実際には現代でも同様の思考法は蔓延しています。

 たとえば日本国憲法の中には「緊急事態条項」が存在していません。緊急事態条項とは、戦争や大災害のように国家存亡の危機が発生した場合に、憲法や法律の平時通りの運用を一時的に停止するというものです。

 世界各国の中でこうした緊急事態に関する条項がない国などほとんどありません。平時には想定できないような事態が発生した場合に、超法規的措置にあたれるという決まりが必要なのは、世界的に見ても常識中の常識です。国家にとって最も重要なのは、国民の命や国土を守ることであって、平時の法律を守ることではないからです。

 ところが前述のように、日本国憲法には緊急事態条項は存在しませんし、それについての議論すらタブー視されている感があります。

 その最大の理由は、緊急事態条項を設ければ、「戦前に戻ることになる」「国家が国民を弾圧する」といった論理で反対する勢力が左派に多くいるからです。彼らは、ひとたびそうした条項が出来れば「法の拡大解釈を招き、結果として国家権力が危険なふるまいをする」といった類の懸念を示します。

 しかし根底には、「悪いことを想定したくない」という心理が働いていることが関係しているのではないかと私は考えています。

 つまり、外国がいきなり攻撃をしてくること、侵攻してきて占領することを想定したくないのです。

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 百田氏を批判している、ある種の人たちにとって、今そこにある危機について論じること自体が、忌まわしいのかもしれない。「隣国の脅威なんて考えているから、かえって危ないことが起きるのだ」という発想法で、これは戦時中の海軍幹部とよく似ている。

 同書の中で百田氏は徹底的にリアリストの視点で戦争を考えたうえで、説得力ある反戦論を展開している。現実に戦争を抑止するのはどちらの思考法だろうか。

デイリー新潮編集部

2017年8月25日掲載

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