続くトランプの日本叩き…戦後の日本を支えた「対米ロビイスト」に学べ

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「トヨタ」の先達は米国圧力になぜ打ち克てたのか(下)

 日本の自動車貿易への批判を続けるドナルド・トランプ大統領の姿は、1980年代のジャパン・バッシングを彷彿とさせる。当時のトヨタ自動車がこの危機を乗り越えることができた背景には、ある男の存在があった。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が、元OSS工作員の日系人実業家・ケイ菅原の“暗躍”を紹介する。

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 すでに当時からトヨタは米国の大手法律事務所や元政府高官とロビイスト契約を結び、ホワイトハウスや議会の情報収集をしていたが、それと比べても菅原の存在はちょっと特異だったようだ。

 というのは彼が遺した書類を調べると日米経済についてレーガン政権の中枢、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領やウィリアム・ブロック通商代表部(USTR)代表、ウィリアム・ケーシーCIA長官らと頻繁に書簡を交わしているのだ。日本側の事情を説明して摩擦解消のアドバイスを与え、ファーストネームで呼び合っているのを見るとかなり親しい関係だったのが分かる。

 これらの人脈を築けた背景には大戦中のOSSでの経歴もあったと思える。人種に関係なく優秀な工作員を集めたOSSは戦後、政界や実業界で活躍する多くの人材を輩出したが、彼らは同窓会を結成して親交を保った。例えばCIA長官ケーシーも欧州で対ナチス工作に従事した人物で、その彼に菅原は仕事上知りえた中東情勢のインテリジェンスを届けていた。

 そして、これらのネットワークはトヨタにも貴重な資産を意味したはずだ。いざとなれば日本政府を通さずに直接、しかも一切公文書に残さず米政権中枢とコンタクトできるのだ。格好のバックチャンネル、裏ルートの対米ロビー活動である。

 またこれらの書簡を読んで驚いたのは菅原が自分の資産を、それも100万ドル規模で日米貿易摩擦の解消に投じていた事だった。75年に昭和天皇が初めて訪米した際は、宮内庁幹部の意を受けて米国のマスコミ対策にも動いた。またアジア系米国人の団体である米アジア人協会の会長を務め、82年には摩擦解消のため日本で100億ドルの資金を集めて米国のインフラ整備に貸し付ける基金構想を発表している。

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