松島トモ子が語る「ライオン」襲撃 アフリカでも有名人に

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フライング・ドクターは飛ばず

 もっとも彼女に本当の危機が訪れるのは、前述の通り、その後のことだ。

「ヒョウの保護区に移動しました。地区の管理を担当していたのは、ジョージの弟子筋のトニーという男性。3日ほど経った2月7日、ディナーに招待され、スタッフ8人ほどで彼のテントにお邪魔しました」

 テントは居住用で、中にはベッドの他にキッチンやダイニングもあるしっかりした造りだった。

「夕食中、トニーは“トモ子、いいものをみせてあげるよ”と言い、私を外に連れ出しました。テントの外は真っ暗で、懐中電灯を手に辺りを進むと、ライオンの赤ちゃんがいたんです。それをあやして部屋に戻ったんですが、しばらくすると彼がまた“いいものを見せる”と誘ってきました。よほど2人きりになりたかったのでしょうか。仕方なく付いていくと、赤ちゃんライオンとは違う気配を感じたんです。その方向にライトを向けると、すぐ近くにヒョウがうずくまっていました。テントの周囲は高さ4メートルほどのフェンスに囲まれていたのですが、ヒョウは器用に乗り越えてきたのです。トニーはこの雌のヒョウを飼い慣らしていると自負していたらしく、私に見せたかったわけですよ。ヒョウはこちらを睨みつけながら、じりじりと近づいてきます。トニーが私の手を引っ張ろうとしたその刹那、ヒョウの眼の瞳孔がキュッと絞られました。“あっ、これはやられる”と思って逃げようとしたときにはもう遅かった。ヒョウは私の首めがけて咬みついてきたのです。首の骨が砕ける凄まじい音がし、“死んだな”と思いました。その後のことは記憶にないのですが、気が付いたらベッドに横たわっていました。首からヒューと血が噴き出していたことは覚えています。後で聞いたところ、外から叫び声が聞こえ、次の瞬間、ヒョウが私の首に咬みついたまま、体を引きずるようにしてキッチンの中に入っていったそうです。スタッフの一人は、“松島さんがヒョウを担いでテントに入ってきたのかと思いましたよ”と言っていました」

 カメラマンが履いていた下駄でヒョウのお尻を叩くと、獣は退散していったらしい。しかし松島の出血は止まらず、衣服は大量の血で赤く染まったという。

「朦朧とする意識の中で、トニーが無線を使って、医者を呼んでいるのが聞こえました。ああいうところでは、医者が飛行機で飛んできて治療を施す。いわゆるフライング・ドクターです。

 しかし滑走路も何もない田舎だから、夜は飛行機が飛べないと言う。私は無線マイクで“このままでは死ぬ”と必死に助けを求めました。すると相手は“分かった。その代わり、車を12台用意して、コの字型に停めて、ヘッドライトを付けてくれ。そうすれば、滑走路の代わりになるから”と応じてくれたんです。でもそこには車が3台しかなかった。“じゃあ無理だ。グッド・ラック”という言葉を最後に無線をブチッと切られてしまいました。止血の応急処置的なことはしていましたが、こんなに出血がひどくて朝まで持ちこたえられるのか、ただただ絶望的な思いでいました」

 何とか一夜を乗り切った松島は翌朝、セスナでナイロビの病院に搬送された。

 ちなみに病院では医師から、ライオンとヒョウに続けざまに咬まれた人は初めて見たと珍しがられたという。病室に医師や看護師が見物に来たほどだとか。

「後年、エイズ関連の取材でタンザニアを訪れた時も、ホテルのフロントの人たちから、“あなた、ライオンとヒョウに咬まれた日本人でしょう”と声をかけられました。新聞で報道されたため、アフリカではちょっとした有名人になっていたそうです。セネガルへのビザを申請した際には、“次はワニに気を付けろ”と書かれてしまいました」

 事件後、スキューバダイビングを始めた時には、母親がこう嘆息したという。

「今度はサメですか……」

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

ワイド特集「芸能史に刻まれた『衝撃ニュース』の主役」より

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