伝説のアウトロー「梶原一騎」 遺品に女優の緊縛写真

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遺品から女優の緊縛写真が…

 元東スポのプロレス記者だった櫻井康雄氏は、巨匠と同じ11年生まれ。まだ梶原一騎と名乗る前からの知り合いだった。薄い色のサングラスに派手なアロハシャツは、若い頃からの定番で、プロレス担当で力道山番だった櫻井氏でも怖いと思う風貌だったという。

「僕の印象では、梶原さんは確かにコワモテなんだけど、非常に人見知りするタイプ。彼の弟の真樹(日佐夫)さんと3人でよく飲みに行きましたが、一番喋るのは真樹さん。人を紹介しても目を合わせようともしない。一度打ち解けると朗らかなんですが、好き嫌いが激しくて、見え透いたお世辞を言うような奴とは絶対に口をきかなかった」

「巨人の星」が売れ出した頃、麻布のソ連大使館(現・ロシア大使館)の裏の「ガスライト」というクラブで梶原と外国人プロレスラーが喧嘩。知らせを受け駆けつけると、プロレスラーを殴って怪我をさせた梶原が涼しい顔で酒を飲んでいたこともあった。また女癖が悪いのはつとに有名だった。

「美人にはすぐ手を出していました。『愛と誠』で早乙女愛役を演じた池上季実子をはじめ、松坂慶子、島田陽子、いろいろな女優との噂がありました。弟の真樹さんも“参っちゃうよ”と。要するに後始末の問題がありますからね。SM好きという話もあり、女優さんを縛った裸体写真もあったとか。私も真樹さんに連れられて、六本木のSMクラブに行ったことがありますが、『兄貴も来るの?』と聞いたら『ときどき(来る)』と言っていました」(同)

 雑誌編集者の暴行事件で逮捕された後、梶原は猪木事件や赤坂のホステス暴行容疑などで次々再逮捕され、およそ2カ月勾留された。判決は、執行猶予が3年ついた懲役2年。3000万円の現金を支払って保釈された後、彼は病に倒れる。

 病名は致死率が極めて高い壊死性劇症膵炎。その後、手術や入退院を繰り返した。もっとも、人工透析を受けながらも、ネオン街は忘れられない。盛り場に繰り出し、レミーマルタンを飲み倒す姿も目撃された。医者に「あなたはモンスターだ」と言われたというエピソードも残っている。

 保釈後、離婚した妻の篤子さんと復縁、生活は落ち着いたが、病は確実に進行していた。事件から4年後の62年1月、彼はついに鬼籍に入った。あの貫目、あの容貌からは思いもよらぬが、享年50の若さだった。

 女性関係の真相を書く、という触れ込みの自伝的劇画「男の星座」も未完のまま終わってしまった。もっとも、女優との艶聞については関係者がこう声を潜める。

「梶原先生が亡くなった後、遺品整理で家族やお手伝いさんは当惑したそうです。というのも、裸の女優さんを縛った緊縛写真がたくさん出てきたからですよ」

 写真を残していたのは、浮名を流した女たちへの固執からか。一方、彼の作品に通底しているのは“個”への執着だと評するのは、『梶原一騎伝』の著書があるジャーナリストの斎藤貴男氏だ。

「彼はしばしば右翼的だし、ファシズムへの憧れが顔を出すこともあります。しかしそういう表向きの面とは違って、全体主義をとことん憎む、徹底的な個人主義を感じます。彼を一躍有名にした『巨人の星』でも、登場人物の誰ひとりとしてチームプレーをしていません。皆がそれぞれ自分のため“個”の完成をひたすら目指しているのです」

 彼の破滅型の人生にも、確かに孤独ともいえる個人主義が見え隠れする。同時にその裏側には多くの読者を惹き付けた、人間の弱さとロマンチシズムもあった。彼のペンネームである「梶原」という名は、感化院時代に付き合っていた初恋の女性の姓だという。

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

ワイド特集「20世紀最後の真実 伝説となった『偉人』『怪人』列伝」より

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