天皇「生前退位」問題 平川祐弘東大名誉教授、マスコミが作った「祈るだけでよい」発言に反駁する

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平川氏の反駁

 皇位の世襲が憲法の定めである以上、天皇が個人的な考えを述べ、それで憲法の定めを変えるに近い事をしてよいのか。その懸念を多くの有識者が述べた。

 しかしテレビ新聞は「初めに退位ありき」の論調を盛り上げ、論点整理の段階で「陛下のご意向を容認する世論がまちがっているとはいえない」という有識者会議主催者側の釈明で結着した。いいかえると昨夏のお言葉に発した天皇退位問題は、政治的には、特例法の制定によってこの6月で一応決着を見た。皇室の行く末はこうして決められた。

 幕は引かれた。そう思っていたころ、会議で退位反対意見を述べた有識者、とくに故渡部昇一氏や私に対し、「毎日新聞」や「文藝春秋」で御厨貴氏などが私どもの発言を歪めて報じ、非難を浴びせた。放置して誤解されてはならぬ。私の皇室観を述べさせていただく。

〈私の皇室観〉

 私は『平川祐弘著作集』の第33巻『書物の声 歴史の声』を先週校正した。そこに収めた9年前「熊本日日新聞」掲載の「天皇家のまつりごと」を読んで、家内が「あなたの皇室観は昔も今も変わらない」と言う。九州の一読者もそう書いてきた。私もこの文章は私の真意を伝えるものと感じた。そのまま引くから、皇室・宮内庁関係者はじめ、良識ある読者にご一読の上,ご判断を仰ぎたい。

 人は個人として幸福を望むとともに家族の仕合せも願っている。また家族の末長い繁栄を望むとともに民族の永遠をも祈っている。連綿として続く天皇家は、卑近な国政の外にあって、昔風の表現を使えば「天壌無窮」に続くことによって、その万世一系という命の永続の象徴性によって、日本人の永生を願う心のひそかな依りどころとなっている。わが皇室は続くことに第一義的な意味がある。日本国民が皇室に寄せる敬愛は、そのような祈りの気持に発している。それというのも天皇家は、伊勢大神宮が示すように、我が国の神道の根源に連なるお家柄であり、歴代の天皇は祖先の神を敬いきちんと祭祀を行なうことがおつとめなのである。今日の日本では天皇が神道の大祭司であることは表にはあまり見えない。しかし陛下と国民はその祈りの気持によって結ばれている。

 地震の被災者は天皇皇后のお見舞いに心慰められる。国のために殉じた人の遺族は両陛下のご参拝によってはじめて安らぎを覚える。それは被災者や遺族に物質的な救援物資が届けられたからではない。「有難い」と感ずる精神的な慰藉(いしゃ)が尊いのである。天皇は敗戦後の憲法の定義では国民統合の象徴だが、歴史に形づくられた定義では民族の永続の象徴である。個人の死を超え、世代を超え、永生を願う気持はおのずと宗教的な性格を帯びる。「祈りを通じ国民と共にある」陛下であればこそ国民は感動するのである。

「われらの天皇家、かくあれかし」との識者の提言が「諸君!」2008年7月号に寄せられた。政治学者や外交官は日本皇室は親善外交をさらに行なえと主張する。ご高齢の両陛下はたいへんつとめておられるが、皇室の政治利用に過ぎるのではあるまいか。(中略)日本では古代から天皇家はまつりごとを司(つかさ)どってきた。「まつりごと」は政事と書くと政治だが、祀事と書くと祭祀、すなわち民俗宗教の儀礼になる。天皇家にはご先祖様以来の伝統をきちんと守ってまず神道の大祭司としてのおつとめを全うしていただきたい。その方が卑近な皇室外交などの政治的なお勤めよりもはるかに大切なのではあるまいか。

 鈴木貫太郎首相は昭和20年8月14日午後11時過ぎ永別の挨拶に来た阿南陸相に対し肩に手をかけ「日本の皇室は御安泰です。陛下は春と秋との御祖先のお祭を必ず御自身でなさっておられるのですから」といった。そんな苦難の時にも日本外交が守りおおせたわが国の由緒ある皇室だ。その末長い御安泰を祈らずにはいられない。

 これが私の見方である。

 ***

 こうした立場を表明したうえで、平川氏はそもそもの発端とされる「祈るだけでよい」発言について、「私どもの発言の一部のみを切り取って『祈るだけでよい』と言ったかのように意図的に歪める」とし、毎日新聞の記事を受けて「最近はリークされ、ついで宮内庁が否定し、それでいてテレビで報道が流され、内容が現実化する」と指摘、冒頭の御厨氏の記述については「みな御厨氏の作り話である」と書く。そして事実が確認できない天皇陛下の「ご意向なるもの」を受けて、好き放題に書くマスコミ文化を深く憂うのである。

 この記事が掲載された「新潮45」8月号の特集「日本を分断した天皇陛下の『お言葉』一年」には、このほか5本の天皇陛下と皇位継承にまつわる記事――ノンフィクション作家・保阪正康氏の「天皇のご意思は満たされたか」、評論家・八幡和郎氏による「すでに『象徴天皇制』は危機にある」、ネットニュース編集者・中川淳一郎氏の「ネット民に愛される天皇」、皇學館大学講師の村上政俊氏の「古代と現在をつなぐ『天皇親政』」、新潮ドキュメント賞受賞の元朝日新聞記者・永栄潔氏の「『天皇という立場』と『個人』」が掲載されている。

新潮45 2017年8月号掲載

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