「3億円事件の後、急に金回りが良くなった男を取り調べると」 捜査員は「犯人の1人」と確信

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前編【「3億円事件」主任刑事が悔やむ「モンタージュ写真そっくりの少年」】からのつづき

 1968年(昭和43年)に起きた3億円事件。発生直後に捜査本部が目を付けた地元の不良少年・佐伯徹(仮名)は、警察の取り調べを受けることなく自死してしまう。一度は捜査本部も捨てた「佐伯犯人説」だったが、時効を前に再びその可能性が検証されることになる。そこにはそれなりの理由があった。「急に金回りが良くなった友人」の存在である。この人物は佐伯少年と同じ、地元の不良グループ、通称「立川グループ」の一員だったのだ――。

(前後編記事の後編・「週刊新潮 2015年8月25日号別冊『黄金の昭和』探訪」掲載記事をもとに再構成しました)

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佐伯少年の友人

 時効まで残り5カ月ほどとなった昭和50年7月。土田国保・警視総監と鈴木貞敏・刑事部長は特捜本部に対し、「佐伯少年とその周辺関係者」を巡る再捜査徹底の特別命令を下した。現場に燻る疑念や不満を汲み取った上での指示である。「佐伯犯人説」に否定的だった名刑事・平塚八兵衛は引退していた。

「最後の捜査の主たる対象は、むろん、立川グループでした。その中で、事件後、急に金回りが良くなった人物が浮上した。青田正(仮名)=事件当時18歳=という男で、やはり車の窃盗常習者です。しかも佐伯少年とは親密な友人関係にあった」

 と、ある元警部補。

「青田の家は貧しく、父親は病気で入院していた。本人も定職がなく、スナックを経営する母親にしょっちゅうカネを無心していた。それが事件翌年、喫茶店を開き、不動産会社を設立。昭和50年当時は、六本木に事務所を構えて株の仕手戦を手がけており、家賃が10万円以上もする代々木の外交官が住む家具付きマンションが自宅だった。何百万円もするムスタングやコルベットなどの高級外車を次々と乗り回し、ハワイの高級別荘まで購入していました。我々の間では“最後の容疑者”と呼ばれていた」

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