竹下元首相が慄いた「皇民党」からの攻撃 現党主が語る裏側

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■「身に覚えがあるから」

 では、当時まだ全国的にも無名だった皇民党の攻撃に、元首相はなぜかくも慄(おのの)いていたのか。総裁選のさなか、中曽根大勲位は、

〈右翼ひとつ解決できなくては総理総裁の資格なし〉

 そう口にしたとされる。夏に円形脱毛症となった元首相は、田中邸訪問を決行する前日の10月5日、金丸、小沢一郎、渡辺の3氏とともに善後策を講じ“どうせだめだ。総理になれっこない”と弱音も吐いていた。

 そこでまことしやかに囁かれていたのは、皇民党が「決定的な切り札」を手にしているという説。当の稲本前総裁も、たびたび周囲にそう明かしていた。

 例えば、ちょうど30年前に世間を騒がせた一連の平和相互銀行事件。このうち「金屏風事件」では、購入代金約40億円が政界に流れたと言われ、89年に自殺した金庫番・青木伊平秘書も登場。元首相に億単位のカネが渡ったことを示すメモも見つかっている。そして平相銀の子会社が所有していた鹿児島の無人島「馬毛(まげ)島」にまつわる疑惑。防衛庁に売却すべく、大物右翼を通じて20億円が自民議員への工作に使われたとされた。さらには自殺した元首相の前妻の、秘された“事情”等々。これらの醜聞を稲本前総裁は先輩筋にあたる人物から聞かされており、ゆえに元首相は怯え切っていたというのだ。

 事実、皇民党はほめ殺しと並行し、元首相の事務所が入居していた永田町TBRビルに隣接するキャピトル東急に別働隊を置き、議員事務所や在京の右翼団体を訪れては、

〈平相銀がらみの巨額のカネが、竹下にどう流れたかを我々は知っている〉

 と触れ回っていたのだ。

 大島党主に問うと、

「“切り札”があるとの報道は大筋で当たっていた。こちらは事実しか提示しておらず、身に覚えがあるからこそ、竹下は神経が参って毛も抜けたのだと思う」

 としつつも、

「先代と石井会長というトップの男同士が話し合い、納得して手仕舞いしたわけだから、そこは謎のままにしておくべきだろう」

 昭和から平成へと漂流して30年。闇のタイムカプセルは、未だ開けられないようである。

 ***

特集「大島竜みん党主が明かす 日程は筒抜けだった皇民党の『竹下登』ほめ殺し」より

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

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