巨大津波を“予見可能”と断言…女裁判長が原発賠償訴訟で引き起こした激震

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 被災地を歩けば、今なお大きな爪痕を残したままの、「3・11」巨大津波。6年が経った折も折、この「1000年に一度の天災」を「予見できたはず」と国を断罪する「女裁判長」が現れた。“常識外れ”の判決に、法曹界は激震。連鎖を案じる声も上がっているという。

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〈原発事故「防げた」〉(3月18日付朝日新聞〉

〈原発事故 国・東電に責任〉(同読売新聞)

 全国紙5紙がすべて1面で取り上げたことが物語るように、この判決が“画期的”なものであったのは疑いない。

 原発事故によって福島県から群馬県に避難した計45世帯が、国や東京電力に損害賠償を請求。2013年9月に提訴されたこの訴訟の判決が3月17日、前橋地裁で下された。

 法廷に現れた原道子裁判長は、記者が注視する中、

① 国がこの津波を「予見できた」と認定し、それに基づいて、② 国が東電に対策を求めなかったことについて、国と東電に、3855万円の賠償を命令したのである。

 原発事故によって避難した住民が国を相手に起こした集団訴訟は28件進行している。前橋地裁はその第1号の判決であり、しかも国の「予見可能性」と「賠償責任」を明確に認めた。それだけに渦中の「森友学園」を押しのけるトップニュースとなったのだ。

「実は国を断罪する判決が出ることは、みなわかっていました」

 と裏側を明かすのは、さる全国紙の司法記者である。

「なぜなら、原裁判長の訴訟指揮があまりに原告寄りだったからです。この訴訟は判決文が1000頁にも上るほど複雑なものでしたが、原さんは1カ月に1回という異例のペースで法廷を開きました。そのため、先に起こされていた集団訴訟を追い越し、最も早い判決となったのです。その上、今は地元に戻った原告に対しては福島に出張して尋問を行いましたし、昨年5月には、やはり福島に戻った原告4家族の家を訪問しています。理由は“現地の静けさや匂いを直接感じたい”というもの。しかも、訪問を決めたのが、昨年の3月11日という、原告を喜ばせる“仕掛け”もしていました」

 訴訟が結審したのは、昨年10月末だが、実は被告の国は「重要な資料を収集中であり、期日を延ばしてほしい」と要請していた。

「しかし、原さんは“天変地異でも起こらない限り、結審する”とこれを一蹴しました」(同)

 これだけ原告に寄り添う裁判長ならば、国にとって敗訴はまさに「予見可能性」に満ちていたというワケなのだ。

〈国と東電への警告だ〉(3月19日付朝日社説)、〈国に対する重い警告だ〉(3月18日付毎日社説)など、新聞やテレビが手放しで褒め称えたこの判決。

 彼らは被災者への“配慮”に縛られた身の上だから、率直な評価は期待できないとして、気になるのは、法曹関係者の「本音」だ。実際、

「今回の判決について、私は多々疑問があるんです」

 と述べるのは、『原発事故の訴訟実務』の著書もある、中央大学大学院法務研究科の升田純教授である。

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