移転白紙撤回のポイントは2009年にあった 知られざる民主党の罪 豊洲問題の深層(1)

政治2017年3月17日掲載

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 築地市場の豊洲移転をめぐる百条委員会の審議が進んでいる。石原元都知事のみならず、副知事、秘書、中央卸売市場長、東京ガス担当者、都議会のドンなど、様々な人間が槍玉にあげられ、その責任と経緯が追及されているが、“犯人”はそれだけにとどまらない。たとえば我が物顔で問題を追及している「民進党」もまた、責任を追うべき立場のはずだと指摘するのは、都民ファーストの会東京都議団幹事長として百条委員会でも質問を行うおときた駿都議。おときた氏の新著『東京都の闇を暴く』をもとに背景を説明しよう(以下は同書引用)。

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係争のタネは15年以上前から

 水産物や青果取引のメッカとも言える築地市場。1935(昭和10)年に開設された施設の老朽化は著しく、1980年代からすでに安全面・衛生面が疑問視され、改築もしくは移転が急務となっていました。なお、実際に私も行政視察などで何度も訪れたことがありますが、敷地内の建物は昔の映画に出てくるようなレトロな作りで、様々なインフラは目に見えて傷み、このままの状態で将来的に営業を続けるのが困難なことは明白でした。

 当初は移転に難色を示し、現地(築地)での改修・改築を模索していた東京都ですが、物理的な要因や莫大な経費、そして何より現場の事業者間の意見調整が折り合わず、現地での改修対応を断念。2001年、ときの石原知事によって、豊洲への移転計画が初めて策定されます。

 ところが、移転候補地となった豊洲に深刻な土壌汚染が存在することが判明し、議論は紛糾。当初より築地からの移転に反対だった共産党や一部の市場関係者らが築地での改修・存続を強く主張します。しかし、土壌汚染への対策を化学的除去や「盛土」などで解決するということで、豊洲に移転する方向へと計画は進み続けました。

「政権交代」の代償はここにも

 ここに颯爽と現れたのが、2009年都議選で第一党へと躍進した都議会民主党です。時は民主党政権の誕生前夜。直後に「政権交代」を掲げて与党となる民主党は破竹の勢いで、衆院選の直前に行われた都議選では、「築地での改修・改築は可能である!」とぶちあげ、「築地移転反対」を最大の公約の一つに掲げます。多くの都民はその民主党候補を支持し、都議会民主党は54議席を獲得して第一党へと大躍進します。

 このとき、同じく築地移転に反対していた共産党・生活者ネットがそれぞれ8議席・2議席を獲得し、築地移転に反対する勢力で議会の過半数を占めることに成功しました(127議席中64席議席)。つまり、このとき彼らが本気であったら、築地の豊洲移転は白紙に戻すことすら可能だったはずです。

 ところが国政同様、都政でも民主党は迷走を始めます。晴海に仮設市場を作って運営しながら築地を改修する案を検討・提案しようとするも、その莫大なコストや物理的な難しさから計画立案は難航。さらに現行の豊洲移転プランを白紙に戻すためには都政史上稀に見る「知事予算案の否決」を行わなければならず、この決断に踏み切れない都議会民主党は、最終的には自らの提案を撤回し、一転して「土壌汚染対策を万全にした上で、豊洲に移転する」という案に合意することになりました。政権を取った時の民主党が、沖縄基地問題や八ッ場ダムで公約が果たせなかったのとまったく同じように、都政においても民主党政権は公約を反故にしていたわけです。

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 こうして2012年、豊洲市場への移転予算が正式に可決。多くの火種を残したまま、築地市場の豊洲移転が進められていくことになるのだ。

 そもそも、このような複雑で長期にわたる問題において、たった一人の“犯人”に責任をすべて押しつけるのはあまりに無理がある。今回、百条委員会で追及する側もされる側も、多かれ少なかれこの問題の責任を負っているのだ。次回は「都庁」という組織に注目し、盛土問題を生んだ別の“犯人”にも光を当ててみよう。