「リツイートしただけで逮捕」中国共産党が怯える風刺漫画

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■出発点は6・4天安門事件

石平 私と辣椒さんとは10歳ほどの開きがあります。ただし、辣椒さんの作品を見ると、私たちは経験の上で同時代を生きたのだと感じます。その上の世代、すなわち私たちの父親や叔父たちの世代は人生が破壊され、毛沢東によって踏みにじられた世代ですが、毛沢東の巧みなところはそれでも民衆は喜んでいたことです。

辣椒 私の父は今も当時の仲間たちとの集まりによく行きます。やはり当時の生活を黄金の過去の時代のように思うわけです。悲しいことだと思います。

石平 政治によって人生を台無しにされ、その原因もはっきりとわかっていながら、毛沢東の時代を黄金時代だと呼ぶのはどうしてなのだろうか……。

辣椒 ストックホルム症候群のように犯人と長時間いることで犯人に共感をおぼえてしまうところがあるのかもしれません。私の父の例で言えば、青春時代に文化大革命で辺境に飛ばされて無為な生活をしたわけですが、それが無為なのだと認めると青春時代がまったく意義がないものになってしまうとの思いから、認めないのだと思います。

石平 それは個人の問題というより、民族の問題、世代の問題です。このような政治状況下では1つの民族の1つの世代が辣椒さんの父親のような悲劇に見舞われる運命なのです。私は現在日本に帰化していますが、漢民族でもあります。この民族にとっての最大の間違いは1949年10月1日、すなわち中華人民共和国の建国とともに始まったのです。中国は闇の時代を迎えました。それからの数十年間、父親たちの世代は政治による破壊や弾圧を経験し、多くの物を奪われました。文化も破壊され、毛沢東の滅茶苦茶な政治が横行しました。その中で中国は昔の多くの物を失い、その後も金儲け一辺倒などの誤った考えに陥ってしまいました。

辣椒 その通りです。

石平 私よりも10歳若い辣椒さんから見て、中国にはどのような矛盾があると考えるでしょうか?

辣椒 私の経歴を話します。私はもともと政治に関心のない普通の人でした。中国共産党を意識し始めたのは1989年です。その頃、私は河北省の山海関に住んでいたのですが、6月4日の天安門事件へと連なる学生たちのデモを朝晩報じていた中央テレビ局をほぼ毎日見ていました。初めの頃はわりと正面から動静を伝えていたのですが、やがて政府の通知が出て、それから暴乱、暴乱と打って変わりました。その後、事件のまとめを見ていた時に、暴乱だと批判された学生に中国社会科学院マルクス主義研究院の人が多くいたことを知りました。その時、彼らこそは中国共産党を最もよく理解しているはずで、中国共産党を研究している彼らが何で中国共産党の叛逆者なのかと疑問に思ったのです。

石平 それは何歳の時ですか?

辣椒 16歳です。私は大きくとまどい、中国共産党を疑い始めました。それから天安門事件のことを海外の報道やドキュメンタリーでも調べましたし、1949年以後の中国の政治についても調べました。そしてこの体制がある限り希望はないと思ったのです。

石平 なるほど。私たちにとっての共通の出発点はやはり6・4だと言えると思います。私は1980年に北京大学に入りました。1980年代、中国の学生たちは純粋な気持ちで民主化を求めました。毛沢東の政治がひどかったのは確かですが、それなのに27年間も彼が統治できたのはなぜなのか? 中国が民主化されていないから独裁者が現れるわけで、私たちは体制改革を求めたのです。1984年に大学を卒業して、私は四川大学に勤めました。そこで私は学生たちを集めて民主化の啓発活動を行ったのですが、大学からはこのまま続けたらクビにすると脅され、1987年には民主化に理解のあった胡耀邦が失脚するなど苦悶の日々を送りました。そして1988年に日本に来ました。1989年の民主化運動の時には日本にいて、私は神戸大学にいたのですが、京都大学や大阪大学などの留学生たちと連日、大阪の中国領事館の前でデモを行いました。そういう中で6・4が起きたわけです。6・4についてここでは詳しく語りませんが、私はあの6月4日から中国という国家と訣別することを決めたのです。

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