「リツイートしただけで逮捕」中国共産党が怯える風刺漫画

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1枚のマンガが暴く共産党の正体

 かたや中国の最高学府・北京大学を出たエリートながら、天安門事件をきっかけに共産党政府と訣別、2007年に日本に帰化した評論家・石平(せきへい)氏。

 かたや中国で習近平の風刺漫画を描き、共産党当局に狙われて日本へ「亡命」してきた漫画家・辣椒(らーじゃお)氏。

 中国共産党の恐ろしさを知り尽くす2人が、その「嘘」と「弾圧」の手口を語った――。

 ※以下、「新潮45」2017年2月号の対談記事を再掲。

石平 辣椒さんの新刊『マンガで読む 嘘つき中国共産党』、私も目を通しましたが、中国の政治、社会などの重要な情報が数多く描かれていて、中国のことをなかなか理解できない日本の人に多くのヒントを与えるのではないかと思います。

「1度会って話すことは10年間の読書に匹敵する」と中国で言いますが、1枚の絵にも社会や国家や現実を巧みに表現できる力がありますよね。この本でも文章だけではなかなか伝わらないことが絵の力で表れています。私など2016年だけで何冊も本を出していますが、その何冊も通じて言わんとしていることが1枚の漫画で描かれたりもしているわけです(笑)。漫画を用いたこの本が日本で出版されたのは価値あることだと思います。

辣椒 当初、私は日本の読者の興味がよくわからなかったので、たくさんのアドバイスを編集者の方から頂き、少しずつわかってきました。自分にとって日本の読者を対象に描いたことは作品の幅を広げ、よい経験になりました。石平さんから見て、どうですか?

石平 本のタイトルは『嘘つき中国共産党』ですが、この本は中国共産党や習近平の嘘の本質がよく描かれていると思います。つまり、中国共産党の嘘がまかり通ってしまう様子がよくわかります。

 辣椒さんの作品に描かれた中国の馬鹿らしい現実ですが、実はこうしたことは中国人ならば誰もが知っていながら、誰も口にしないのです。しかも政治的圧力の強い中で何も話さないことも危なく、したがって中国共産党の嘘に倣って嘘を口にしなければならないのです。

辣椒 その通りです。

石平 なぜ中国人は中国共産党を信じているのか? 信じているわけではなく、信じているふうに装わねばならないのです。そうしなければあの国で生きぬくことはできませんし、正しいことを主張したら、この本にも載っているような警察からお茶に誘われる(取り調べを受けることの隠語)ぐらいならまだ軽い方で、投獄もされかねません。

 この作品は中国のそんな厳しい現実が実によく表れていて、やはり辣椒さんのような中国人でなければ描けないのではないかと思います。ただ、日本の読者がそれを完全に理解することは難しいかもしれません。今日の対談が作品を理解する上で役立ってくれることを願っています。

出発点は6・4天安門事件

石平 私と辣椒さんとは10歳ほどの開きがあります。ただし、辣椒さんの作品を見ると、私たちは経験の上で同時代を生きたのだと感じます。その上の世代、すなわち私たちの父親や叔父たちの世代は人生が破壊され、毛沢東によって踏みにじられた世代ですが、毛沢東の巧みなところはそれでも民衆は喜んでいたことです。

辣椒 私の父は今も当時の仲間たちとの集まりによく行きます。やはり当時の生活を黄金の過去の時代のように思うわけです。悲しいことだと思います。

石平 政治によって人生を台無しにされ、その原因もはっきりとわかっていながら、毛沢東の時代を黄金時代だと呼ぶのはどうしてなのだろうか……。

辣椒 ストックホルム症候群のように犯人と長時間いることで犯人に共感をおぼえてしまうところがあるのかもしれません。私の父の例で言えば、青春時代に文化大革命で辺境に飛ばされて無為な生活をしたわけですが、それが無為なのだと認めると青春時代がまったく意義がないものになってしまうとの思いから、認めないのだと思います。

石平 それは個人の問題というより、民族の問題、世代の問題です。このような政治状況下では1つの民族の1つの世代が辣椒さんの父親のような悲劇に見舞われる運命なのです。

 私は現在日本に帰化していますが、漢民族でもあります。この民族にとっての最大の間違いは1949年10月1日、すなわち中華人民共和国の建国とともに始まったのです。中国は闇の時代を迎えました。それからの数十年間、父親たちの世代は政治による破壊や弾圧を経験し、多くの物を奪われました。文化も破壊され、毛沢東の滅茶苦茶な政治が横行しました。その中で中国は昔の多くの物を失い、その後も金儲け一辺倒などの誤った考えに陥ってしまいました。

辣椒 その通りです。

石平 私よりも10歳若い辣椒さんから見て、中国にはどのような矛盾があると考えるでしょうか?

辣椒 私の経歴を話します。私はもともと政治に関心のない普通の人でした。中国共産党を意識し始めたのは1989年です。その頃、私は河北省の山海関に住んでいたのですが、6月4日の天安門事件へと連なる学生たちのデモを朝晩報じていた中央テレビ局をほぼ毎日見ていました。

 初めの頃はわりと正面から動静を伝えていたのですが、やがて政府の通知が出て、それから暴乱、暴乱と打って変わりました。その後、事件のまとめを見ていた時に、暴乱だと批判された学生に中国社会科学院マルクス主義研究院の人が多くいたことを知りました。その時、彼らこそは中国共産党を最もよく理解しているはずで、中国共産党を研究している彼らが何で中国共産党の叛逆者なのかと疑問に思ったのです。

石平 それは何歳の時ですか?

辣椒 16歳です。私は大きくとまどい、中国共産党を疑い始めました。それから天安門事件のことを海外の報道やドキュメンタリーでも調べましたし、1949年以後の中国の政治についても調べました。そしてこの体制がある限り希望はないと思ったのです。

石平 なるほど。私たちにとっての共通の出発点はやはり6・4だと言えると思います。

 私は1980年に北京大学に入りました。1980年代、中国の学生たちは純粋な気持ちで民主化を求めました。毛沢東の政治がひどかったのは確かですが、それなのに27年間も彼が統治できたのはなぜなのか? 中国が民主化されていないから独裁者が現れるわけで、私たちは体制改革を求めたのです。

 1984年に大学を卒業して、私は四川大学に勤めました。そこで私は学生たちを集めて民主化の啓発活動を行ったのですが、大学からはこのまま続けたらクビにすると脅され、1987年には民主化に理解のあった胡耀邦が失脚するなど苦悶の日々を送りました。そして1988年に日本に来ました。

 1989年の民主化運動の時には日本にいて、私は神戸大学にいたのですが、京都大学や大阪大学などの留学生たちと連日、大阪の中国領事館の前でデモを行いました。そういう中で6・4が起きたわけです。6・4についてここでは詳しく語りませんが、私はあの6月4日から中国という国家と訣別することを決めたのです。

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