“兜町の風雲児”逝く 中江滋樹が送る弔辞

社会 週刊新潮 2017年1月12日号掲載

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 暮れも押し詰まった昨年12月26日、仕手グループの加藤あきら元代表(75)が、都内の大学病院で息を引き取った。40年間、兜町の風雲児であり続けた男に、株式市場でともに一世を風靡した投資ジャーナルの元代表、中江滋樹氏(62)が弔辞を送る。

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中江滋樹氏

 株価を不正につり上げたなどとして金融商品取引法違反の罪に問われ、加藤元代表は昨年6月から東京地裁で公判中の身だった。無罪を主張していたものの、その結果を見ることは叶わなかった。

 加藤元代表と同じく、兜町の風雲児と呼ばれた男が、投資ジャーナル事件を起こした中江氏である。

 その中江氏に、加藤元代表について聞くと、

「加藤さんとは、株に対する考え方が違い過ぎたから、付き合いはあったけど、一緒に仕事をすることはなかった。俺は、業績の伸びそうな会社を懸命に見つける。でも、加藤さんのやり方は、専門用語で言えば、玉(ぎょく)関係だけで取引をするというものだった」

 それは、浮動株が少なく、価格の低い銘柄をターゲットに据え、短期間で買い上がっていくやり方だという。

「一般投資家は“理由もなく株価が上がっているから、そのうち下落するだろう”と踏んで、カラ売りを仕掛ける。すると、加藤さんは自身の抱える顧客に買い増しさせ、株価をつり上げるんだ。結果、一般投資家は、損失が広がることを怖れて株を買い戻すから、さらに高騰するというわけ」(同)

 時には、仕手株を勧めてくることもあった。

「兼松日産農林という株だったけど、もともと数百円の株なのに1万3000円にはなるからと言うんだ。常識的にはあり得ないのに、平然とこの俺にそういう話ができるから、加藤さんは営業の超天才。だけど、常に精神状態はギリギリだった。それで、宗教にのめり込んでいった」(同)

■1億円と3000万円

 株に対する考え方の違いはあっても、塀の中に落ちたときには、お互い助け舟を出し合ったという。

「加藤さんが、まだ黒川木徳証券の外務員だったとき、“会いたい”と言ってきたのが最初だった。それから付き合いが始まり、加藤さんが1981年に脱税で逮捕され、2年半後に保釈されたときには俺の会社に来てもらって、“これで立ち直ってください”と、1億円を渡した。それから、赤坂の料亭や銀座のクラブにも連れて行って、加藤さんの今後の飲み食いは、俺に付けるように言ったんだ」(同)

 一方、中江氏は投資ジャーナル事件で、89年に懲役6年の実刑判決を受ける。

「俺が3年半の刑期で仮釈放されると、加藤さんは3000万円をくれた。すでにバブルは崩壊していて、加藤さんもキツイときだったのに、本当に感謝しました。証券界の野武士のような存在だったけど、時代は変わって、法律も厳しくなり、最近は思うように仕手をすることもできなくなっていたんじゃないかな」(同)

 加藤元代表は広島の能美島の生まれで、そこに先祖代々の墓もある。

 小学校の同級生によれば、

「30年くらい前、墓石が4つもある立派なお墓に建て替えられました。みな、あきらくんがお金を出したと思っている。両親とお兄さんが入っていますが、あきらくんはお墓参りに来ると、1時間近くお経を唱えていた。最後にこちらに来たのは、確か3年前です」

 兜町から遠く離れた島で、泉下の人となるか。

ワイド特集「年を跨いだ無理難題」より