隠された昭和天皇の「すい臓がん」 当時の侍医が振り返る“どうしても陛下に切り出せなかった”

社会週刊新潮 2015年8月25日号別冊「黄金の昭和」探訪掲載

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■「昭和天皇」玉体にメスが入った最後の474日(4)

 昭和62年の手術によって明らかになった、昭和天皇の「がん」という病状。高木顯・侍医長ら侍医団の方針により陛下への告知は行われず、世間には「慢性膵炎」と発表されることとなった。

 しかし、63年9月24日付「朝日新聞」が〈すい臓部に「がん」 お気持ちを考え公表せず〉との見出しと共にこれを報じ、宮内庁は長官自らが抗議を行う事態に。当時、同紙の宮内庁担当記者だった清水建宇氏は、病床に伏せられていた陛下がこの記事をご覧になったとは考えられない、と振り返る。

 ***

昭和の終焉を伝える「週刊新潮」1989年1月19日号

 メディアのみならず、身内にも「告知」へと思いを募らせる人物がいた。昭和57年から侍医を務めていた伊東貞三氏(86)である。氏の著書『回想の昭和』(医学出版社)に目を転じると、

〈昭和六十三年秋 がんの告知〉

 との項があり、以下の記述がある。

〈いよいよ病態が進行してきた時、私は侍医長と議論したことがあります。「昭和天皇には誰もがんということをお話していない。あのように泰然自若として迷いのないお心であるからがんは申し上げたほうがよいのではないか、昭和の長い歴史を背負っておられる。必ず何か一言この世に残しておかれたいお言葉がある筈だと」。しかし侍医長は「がんとは言ってはいけない。我々は人間、浅はかな知識で、何でがんとわかるか、神のみぞ知るのだ。医者が偉そうに宣言しても間違っているかもしれない。たとえがんであってもお伝えすることは何の役にも立たないのである」と〉

■意を決して数十秒間

 現在は横浜市内の病院に勤務する伊東氏にあらためて聞くと、

「高木さんからは反対されましたが、私はどうしても伝えたい思いに駆られていた。このままでは陛下に嘘をついたことになると思ったのです。12月に入ってからだと思いますが、すでに陛下は殆どお話もできなくなっていた。ちょうど当直だった私は、真実を申し上げるのは今しかない、と意を決して『お上』と問いかけたのです。陛下は閉じておられた目を開かれ、私の方を見つめられました。でも周囲には看護婦もいて、高木さんの顔も頭に浮かんだ。そのまま数十秒間、無言の時が過ぎ、どうしても切り出せなかったのです」
 そんな苦悶が続く折、

〈侍医長はそのとき小生のことを「君はザッハリッヒの人だね」と言われました。これはドイツ語で要するに現実的とか馬鹿正直とか言う意味だと思います〉(前掲書)

 伊東氏が続ける。

「今思えば、若気の至りだったのでしょう。でも、聡明な陛下ですから、本当のご病状などとうにお見通しだったかも知れません」

■今上陛下には告知

 当時、テレビ朝日の宮内庁担当記者として取材にあたっていた皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。

「高木さんは、陛下だから告知をしなかったわけではなく、がんという不治の病を告げたところで、心身ともにどれだけ患者を良い方向に持って行けるのかという疑問を持っていた。それが医師としての哲学でした」

 その高木氏は62年10月、今上陛下(当時皇太子)には告知。陛下も平成元年8月、ご即位に際しての会見で、昭和天皇に告知がなされなかったことについてのお気持ちを尋ねられ、

〈侍医長の意見に従うのが最も良いと、私は考えました〉

 と、答えられている。

「今上陛下は、ご自身のことは正確に把握され、そして知った以上、私的なことでも国民に知らせるのが責務だというお考えです。14年の前立腺がん公表だけでなく、21年には、結核を患われた経験があると自ら明かされている。これは成年される直前のことだったのですが、今後も、お体に何があっても正しい告知がなされて、その通りに発表されることでしょう」(神田氏)

 医師団の“攻防”もまた、昭和とともに終わったというのだ。

特集「『昭和天皇』玉体にメスが入った最後の474日 『進行すい臓がん』病状告知を巡る医師たちの攻防」より