原発規制で治験中断…画期的がん治療法「BNCT」に新たな希望

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 文明の象徴、火。この危険な「赤い花」を使いこなすことで、ヒトの文化的進化は急激に進んだ。その後も営々と科学の力を活用してきたからこそ、人類は生態系の頂点に立てたのだ。逆に科学を否定すれば、文明には損失が生じかねない。実際、そうした事態が、ある医療の現場に暗い影を落としている。放射線治療の一つ、BNCT(ホウ素中性子捕捉療法)だ。関係者らは新たなアプローチでこの危機を乗り越えようとしている。

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 陽子線治療、重粒子線治療と進化してきた、がんの放射線治療は、さらにBNCTという高度な治療法を完成させつつあった。どういう治療法か説明しよう。

 まず点滴で患者の細胞の中にホウ素化合物を送り込む。がん細胞にはホウ素を選択的に取り込む性質があるため、がん細胞中のホウ素濃度は、正常細胞の10倍以上になる。

「そこに中性子線を照射すると、がん細胞の中でホウ素化合物と中性子が核分裂反応を起こし、リチウム核とα線に分裂して粒子線が発生します。これががん細胞を死滅させますが、その飛散距離は10ミクロン程度。つまり細胞1個分ほどの距離なので、丁度がん細胞だけをピンポイントで破壊できるのです。それ以外の細胞にはほぼ影響を与えません」(古林徹・元京都大学原子炉実験所准教授)

 ではどんながんに有効か。

「中性子は体の表面から6センチほどしか充分なビームが届かないので、脳腫瘍や頭頸部がん、悪性黒色腫などの皮膚がんのような浅い場所にあるがんに有効です」

 と解説するのは、国立がん研究センター中央病院の井垣浩医師である。

 もっともこの治療には難点も立ちはだかる。中性子線を生じさせるために、原子炉が必要になる点だ。開発費用が数百億円規模になり、広大なスペースも要することから、普通の病院での設置は困難と言えよう。

「だから臨床研究は、大阪府熊取町にある京都大学の原子炉実験所や茨城県東海村の日本原子力研究開発機構などで行われてきました。しかし東日本大震災以降の規制強化により、国内の原子炉は安全確認のため停止された。東海村の原子炉は再稼働のめどすら未だ立っておらず、京大のものも2年以上にわたって、まだ動いていない。そのため原子炉でのBNCTの臨床研究も中断したままの状態です」(同)

加速器の前に立つ井垣医師

■職人芸の最先端技術

 治療法は画期的なのだが、原発アレルギーの逆風にも晒され、治験は風前の灯になっている。そこで治療に携わる人々はこのBNCTを行うための新たな医療機器の開発を進めてきた。

「それが原子炉より小型の加速器です。京大のものは、陽子線をベリリウムという元素に当て、BNCTに必要な中性子を発生させています。この加速器を使用し、2012年から大阪医科大学と協力して再発悪性脳腫瘍の治験を行ってきました。現在、フェーズ2の段階まで進んでいます」(古林氏)

 これをさらに進化させたのが、昨年、国立がん研究センター中央病院に導入された加速器だ。この最新機器を納入した医療機器開発ベンチャー、CICSの今堀良夫社長が語る。

「私たちは小さくても充分な量の中性子の放射が可能な加速器の開発を進めてきました。技術的な課題を克服すべく、小説『下町ロケット』で描かれたような、日本伝統の職人芸的な最先端技術が、あらゆるところに詰まっています。大きさは電源と冷却装置を含め、22×20メートルの部屋に収まる。開発費用は原子炉が数百億円だとしたら、その10分の1以下ほどです。今後の目標は、一定規模以上の医療機関に加速器を普及させていくことです」

 病院に設置できる現実的なシステムであり、今後は重粒子線治療のように浸透していくことが期待されているという。井垣医師も、

「当院の加速器は、タンクに溜められた水素から陽子を取り出し、電気の力で加速させ、リチウムの金属板に照射して、中性子を発生させている。冷却技術の進歩でリチウムが使用できるようになったのが利点です。ベリリウムに比べ、陽子線と中性子線のエネルギーが低く、コントロールしやすくなる。BNCTのメリットは、正常な組織に根のように浸潤し、手術などでは取り除けないがん細胞の一つ一つを選択して破壊できること。しかも治療は約1時間の施術1回だけで済む。当院でも年度内の臨床試験開始を目標にしています」

特集「日本の『がん治療』はここまで進んだ!」より

週刊新潮 2016年11月10日神帰月増大号掲載

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