高倉健、謎の養女との出会いは19年前の香港高級ホテル 追悼展にも姿を見せず

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 11月10日に三回忌を迎えた俳優・高倉健。

 生前の高倉健を高倉健たらしめていたもの、それは、スクリーンの中での圧倒的な存在感、長年に亘って日本映画界を牽引してきた赫々たる実績、そして、神秘性ではなかろうか。

 私生活の一切は厚いベールの奥に厳重に隠され、映画の撮影に臨んでいる時以外の時間をどこでどのように過ごしているのかはほとんど漏れ伝わってくることがなかった。時に語られるのは、撮影の際には一時も座らない、撮影で世話になった市井の人に突然、お礼の品を贈って驚かせた、といった伝説的なエピソードばかり。1人の男、健さんの本名である小田剛一としての生活臭や欲、金銭的なあれこれは徹底的に隠され、そのおかげでこの不世出の俳優は、俗世を超越したかのような神秘的なオーラをまとうことに成功したのだ。自ら考えてこうした方法をとっていたとするなら、相当な戦略家と言えるかもしれない。

 いずれにせよ、健さんの死後、厚いベールの奥から1人の謎めいた女性が姿を現して大いに世間を驚かせた背景には、生前、その私生活が徹底的に隠されていた反動もあったに違いない。2013年5月に密かに健さんと養子縁組していた元女優の養女(52)。悪性リンパ腫との闘病の末、14年11月10日に逝った健さんに、その最期を見届けた養女がいたという事実だけでも驚きである。しかも彼女は、数十億円ともいわれる遺産の全てを相続、健さんの著作権を管理する「高倉プロモーション」の社長に手際よくおさまったのだから、揣摩臆測が飛び交うのは当然の成り行きだった。ただし、健さんと養女の生活ぶりについては、未だ不明な点も多い。何しろ、2人がどこで出会ったのかという点すら判然としていなかったのだが、ここへきて分かった事実がある。

■名刺を渡してアタック

「健さんと彼女が出会ったのは今から19年ほど前、場所は香港の高級ホテル『ザ・ペニンシュラ香港』だったと聞いています」

 そう明かすのは、さる映画関係者である。

「彼女はホテルジャーナリストをしていたことがあり、仕事で香港に滞在していたのでしょう。で、ロビーで健さんを見かけ、こんなチャンスは二度とないと思った彼女は名刺を渡して猛アタック。当時、健さんが家政婦を探していたという事情もあり、彼女はとんとん拍子で世田谷区瀬田にある健さんの豪邸に入り込むことに成功したわけです」

 何とも積極的なそのホテルジャーナリストが後に健さんの養女となり、莫大な遺産と利権を独占することになるのだから人生は不可思議なものである。

■特別追悼展

11月19日に始まった追悼展

 健さんの三回忌というタイミングに合わせ、彼女が準備してきたイベントがある。東京・丸の内の東京ステーションギャラリーで11月19日から催されている〈追悼特別展 高倉健〉だ。

 とある日、会場をのぞいてみると、客層は主に60代~80代と思しきリタイア組で、若い人の姿もちらほら。エントランスをくぐり、3階に上がって展示室に入ると、まず目に飛び込んでくるのが森山大道撮影の大型パネル。隣のフロアでは健さんが歌う劇中歌が流され、「網走番外地」「日本侠客伝関東篇」「昭和残侠伝」などの予告編が白い壁に投影されている。そんな映像を熱心に眺めるある壮年男性の格好は、目深に被った野球帽に煤けたような黒いジャンパー。健さんを意識しているのは明らかだった。

 2階フロアに展示されているのは、健さんが役者を志した東映入社の頃の写真や身分証など。さらに、デビュー作の「電光空手打ち」から遺作の「あなたへ」まで、出演全205作品から抜粋された映像が複数のスクリーンやディスプレイに映されており、これが今回のイベントの目玉だという。

「今回の追悼展を機に、健さんの養女が初めて表舞台に姿を現すのではないか、という見方もあった。が、今のところ彼女が出てきて何かをするという予定はなさそうです」(芸能記者)

 本誌(「週刊新潮」)でも報じたとおり、健さんの親族にも死を知らせず、遺体を荼毘に付した養女。以来、三回忌を迎えた現在も、親族らは彼女に対する不審を募らせている――。

特集「『高倉健』三回忌! 遺産総取り『養女』の愛憎深し」より

週刊新潮 2016年12月1日号掲載

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