日本人初の南極上陸 デジタル復刻の“探検”が上映に

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 南極と大隈重信との間に意外な“縁”があった。文化部記者の話。

南極と大隈重信との間に意外な縁が…(出典:Wikimedia Commons)

「11月24日、東京国立近代美術館フィルムセンターで、長編記録映画『日本南極探檢』のデジタル復刻版が上映されるのです。明治45年(1912年)、白瀬矗(のぶ)陸軍中尉率いる南極探検隊の様子を撮影したドキュメンタリー。後援会長だった大隈重信邸での壮行会や南極での様子が収められています」

 少年の頃から探検を志していた白瀬は48歳だった1910年、帝国議会に南極行きに必要な経費を請願する。白瀬南極探検隊記念館の担当者が言う。

「結局、必要なお金は国から出なかった。そこで、総理大臣を経験し、絶大な人気のあった大隈重信に後援会長になってもらおうと、元宮城県知事に紹介してもらったのです」

 費用の多くは募金で賄った。同年11月東京・芝浦を出港。南極に上陸後は日章旗を立て、周囲の平原を大和雪原(やまとゆきはら)と名付ける。日本初とあって、帰国後の歓迎式典には約5万人の市民が集まった。

「帰国後、公開された映画も大変な人気でした」(同)

 しかし、この探検の代償は重く、白瀬はおよそ4万円(現在の1億円強)もの借金を背負うことになる。

「12年7月、明治天皇が崩御し、自粛ムードになると、白瀬は配給会社からフィルムを引き取ります。自身が74歳になるまで、全国を講演して回ったのです」(同)

 借金は返済したものの、白瀬が85歳で亡くなった時にはフィルムは手元になかったという。フィルムセンターの主任研究員・大傍正規さんは、

「今回、上映するのは、支援者ご遺族が所有していたポジフィルムをデジタル技術で修復したもの。上映当時の作品の所在については未だに分かっていません」

 スクリーンには映らない苦難の歴史である。

週刊新潮 2016年11月17日号掲載

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