宝塚星組トップ「北翔海莉」退団、芸名の由来は“潜水艦キラー” 父が語る

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 北翔海莉。11月に引退する宝塚の星組トップスターの名前だが、なにやら北の海上を飛んでいるかのようである。事実、海上自衛隊の機長として北の海上を飛んでいた父親が、自衛隊の機関紙で芸名を募集、“愛機”にピッタリの名前にしていたのだ。

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北翔海莉(宝塚歌劇公式ホームページより)

 今、東京宝塚劇場で開催中の「桜華に舞え」「ロマンス!!」。北翔海莉の「サヨナラ公演」と銘打たれている通り、この星組トップスターは千秋楽の11月20日をもって引退する――とあって連日の満員御礼。

 西南戦争に散った西郷隆盛の側近を描く「桜華に舞え」は、主役の北翔が登場すると、有閑マダム風の観客中心に埋めつくされた客席から、大きな拍手が。場の空気が一変する存在感は、記者にも感じられた。休憩をはさんで歌とダンスのショー「ロマンス!!」に。

 初日に観劇した作家のねじめ正一氏は、

「北翔さんの踊りは安定感がダントツ。身体全体がぶれず、なんでこんなに安心して見ていられるのか、と思うほどでした。トップとしても、自分の踊りで周りを引っ張っている。彼女には、宝塚の品の良い伝統を踏まえつつも、激しい感情を内包したようなギラギラした部分もあるんです」

 と絶賛するが、そんな北翔が星組トップに昇進したのは、昨年5月のこと。さる宝塚ファンによれば、

「前任の柚希礼音が“100年に一度”とさえ言われただけに、後任が誰になるかで盛り上がり、ネット上に予想サイトも立ち上がったほど。結局、5つの組に属さない“専科”から、歌、ダンス、演技と三拍子そろった北翔が選ばれた。彼女のトップ就任で“やっと宝塚らしくなった”という声が上がったほど、正統派のタカラジェンヌです」

 だが、彼女の駆け出しは異例ずくめだったという。

■海上自衛新聞で

「中学の進路相談で、娘が“音楽か体育の先生になりたい”と言うと、担任の先生は“宝塚音楽学校があるよ”と勧めたんです」

 と語るのは北翔の実父だが、この担任、宝塚の内実を知っていたとは思えない。宝塚音楽学校は中3から高3まで受けるチャンスが4回あるが、受験者は通常、ピアノや日舞、バレエなどのレッスンを長年続けてきた子ばかり。一方、北翔は辛うじてピアノを習っていただけだという。

「1次試験も2次試験も周りがすご過ぎて、娘は合格をあきらめていたので、発表当日は地元の高校の入学式に出席していました。たまたま関西に出張していた私が、念のために見に行ったら、合格掲示板に娘の名前がある。気が動転し、一瞬娘に伝えるか迷ったのですが、せっかく受かったので決心して手続きしました。“合格手続きに本人が来ないのは前代未聞です”、そして“最下位での合格です”と言われました」

 だから入学後に特訓が必要だったという。当時、実父は海上自衛隊の機長。海自の関係者が言うには、

「八戸基地を皮切りに定年まで勤めたお父さんが乗っていたのは、潜水艦を追跡し、場合によっては攻撃、撃沈するのが主任務のP3C対潜哨戒機でした」

 北翔の芸名も、この“潜水艦キラー”に関係しているという。宝塚の芸名は2年次に自分で考えるのだが、その際、実父は「海上自衛新聞」などで募集。100通を超える応募があったという。実父が続ける。

「その中から“北翔”という姓を採用させていただきました。本人が“父も兄も海自なので海の字を入れたい”と言うので、私が“海浬”を勧めたところ、娘が“浬”の字より“莉”が良いと言って、北翔海莉に決まりました」

 自身も海上自衛隊に憧れていたという北翔だが、結局、宝塚で軍服を何度も着て、その回数は父親より多かったかもしれないとか。

ワイド特集「浮き世のジャック・オー・ランタン」より

週刊新潮 2016年11月3月号掲載

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