宇都宮連続爆発 「秋葉原みたいな事件を」身勝手な元自衛官の素顔

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退官パーティーでの栗原敏勝・元陸自幹部

 リタイア後の「第二の人生」にあえぎ苦しんだ男は、あろうことか古希を過ぎて身勝手に終焉を導いてしまった。10月23日、栃木県宇都宮市で市民を震撼させた「連続爆発事件」。はた迷惑な自死を選んだ元陸自幹部は、いかにして“老後破綻”に至ったというのか。

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 その日、市の中心部にある宇都宮城址公園は、祭りの只中にあった。およそ1万5000人の来場者で賑わう会場に、轟音が響き渡ったのは正午にならんとする頃だった。

「園内では『宇都宮城址まつり』と『伝統文化フェスティバル』が開かれていました。爆発は、櫓などが展示されている『清明館』の北側のベンチで起き、数分前には、近くのコインパーキングで乗用車が爆音とともに炎上。さらにその十数分前、南に8キロほど離れた住宅街の民家から出火、近隣に延焼していたのです」(栃木県警担当記者)

 園内の爆発で死亡したのは、市内に住む栗原敏勝(72)。燃えた車の持ち主でもあり、さらに出火した民家は栗原の自宅であった。

「帽子に冬物コートという格好でベンチに座った栗原は、爆発物を抱え込むようにして自爆したとみられます。腹部がすっぽり吹き飛び、地面にはちぎれた足。右足の靴下には『命を絶って償います』と記された遺書が入っていました。全焼した自宅からは大量の花火が見つかっているため、分解して火薬を調達したと思われます」(同)

 公園では成人男性2人が重傷、男子中学生1人が軽傷を負い、県警は殺人未遂容疑で捜査を進めている。

「現場では、殺傷力を高めるビー玉や釘が見つかっている。あえて1万人以上の人出がある祭りの日を狙い、周囲を巻き込もうとしたのは明白。ベルト状の物体も発見され、導線を引いたベルト式の爆弾を腹に巻き、スイッチで起爆させた疑いが濃厚です」(同)

■困った相談員

全焼した栗原敏勝の自宅

 派手に散った老人は、17年前まで陸上自衛隊に属していた。防衛省関係者の話。

「栗原は千葉県四街道市出身。県内の公立高校を卒業して63年、陸自に入隊しました。のち定時制大学を卒業し、71年に結婚。三女をもうけています」

 北宇都宮駐屯地にある航空学校宇都宮校に勤務していた99年、55歳で定年退官を迎える。

「二等陸士で入隊し、最終的には二等陸佐まで昇ったのですから、きわめて順調なコースです」(同)

 というから、余生もまた趣深く彩られるはずだったろう。ところが、

「退官の時期と前後して、末娘が変調をきたし、家庭内暴力などのトラブルを起こし始めます。その治療法をめぐって栗原は妻と対立し、もっぱら『愛情が足りないからだ』と責められ、夫婦間に亀裂が入っていきました」(事情通)

 しかるべき治療を望んだ夫に対し、妻は祈祷や改名などにすがったという。

「そのさなか、栗原は妻に暴力を振るったとみなされ、11年には宇都宮地裁から『配偶者暴力に関する保護命令』が出されています」(同)

 直後、夫婦は家裁で離婚調停に臨むが不調に終わる。舞台は法廷へと移り、栗原に非があると認定されると、続く高裁、最高裁でも判断は揺るがず。一連の闘争は、栗原の敗北に終わった。

「これで司法や行政に強い恨みを抱いた栗原は、ツイッターやフェイスブック、そして動画サイトなどを駆使し、たびたび不満を露わにしてきました」(同)

 時には自衛官時代の勤務履歴書まで公表しつつ、自らの不遇をひたすら嘆き、怨嗟を強めていった。

 それは、以下の書き込みからも明らかである。

〈冤罪DV判決され、本人訴訟が故に闇打ちされ、裁判所書記官・判事・弁護士から人生に置いてこんなに愚弄されたことはない。精神障がい者を抱える家族・家庭は悲劇を持って終わらなければならないでしょうか?最善の努力をしたが結果は全て敗訴した〉

〈債権差押え預貯金を奪取され・住居家屋まで抵当に入れ、間もなく競売に附し没収される。冤罪判決だ。もう、預金も住む場所も無くなる。(中略)全てに負けた。私は社会に訴える〉

 栗原が活動に携わっていた「栃木県精神保健福祉会」の興野憲史会長が振り返る。

「5年ほど前、栗原さんは娘さんのことで相談に来たのです。聞けば、医者にかかって症状を抑えようと考えていたのに奥様が病気を受け止められず、新興宗教に入れ込んだとかで退職金の2000万円を使われてしまったという。暴れる娘さんを止めようとした時、間に入った奥様にも手を上げてしまい、DVで裁判になっているとも聞きました」

 当時、すでに妻子とは別居中だったという。

「栗原さんは私たちの勉強会にも熱心に参加していたので、相談員をお願いしました。3年前からは理事に就き、おもに広報の業務を手伝ってもらっていましたが、大事な仕事は頼みにくかった」

 というのも、

「思い込みが激しく、会議でも1人で議題から逸れて、『裁判官は何もわかっていない』『弁護士が悪い』なんて、自分の裁判の話を突然始めてしまう。自衛隊幹部という地位にいたからでしょうか、相談員としても“上から目線”が直らない人で、悩みを抱えて訪ねてきた方に、難しい言葉を使って説教をしてしまうのです」

 こんなカウンセラーにあたったら一巻の終わりだ。

「最後に会ったのは今年5月。離婚訴訟が終わると彼の行動はエスカレートし、当会と関係のある県の団体に勝手に相談したものだから、クレームが寄せられたのです。会って話したところ、6月中旬に『迷惑をかけたので退会します』というメールが届きました」

■「もう報告したから」

 夏を迎え、そうした思い込みはさらに先鋭化していく。例えば8月には、お盆の墓参で撮影したとみられる動画を投稿。場所は千葉県四街道市にある寺院で、栗原家の墓を映しながら、

〈8月14日、日曜日朝7時30分。(中略)先祖の代々の皆様、どうもすいません。お許しください〉

 と、ひたすら謝り続ける本人のナレーション。栗原の妹が振り返る。

「兄とのやりとりは、もっぱらフェイスブック上で行っていました。兄のたった4人の“友達リスト”に、私も入っていたのです。昨年秋には、兄嫁に裁判でことごとく負けたことを悲観して、『何年間もSOSを出してきたのに』『悔しくて涙が華厳の滝のように出てきた』などと投稿していました。『このまま車で人ごみに突っ込みたい』と書いていたこともあったのです」

 世間で繰り返されてきた無差別殺人を彷彿とさせるのだが、

「今年のお盆の頃にも“友達”だけに公開される書き込みに『秋葉原みたいな事件を起こしたい』とありました。以前から『自暴自棄だ』『死にたい』という書き込みを目にしていた私は『何の罪もない人を巻き込んではダメです』と返した。でも兄は『もう先祖にも、何があっても許して下さいって報告してある』と。その後も私は『天から見ていて悲しみます』となだめたのですが、『もう報告したから』の一点張りでした」

 なおも思い止まらせるべく、

「兄はフェイスブックに孫の写真を載せていました。だから私も何とか鎮めようと『孫にも会いたいでしょう。そんなこと考えずに幸せになってもいいんじゃないの』と書き込んだのですが、ついに返事はありませんでした」

 墓場でのナレーションは、まさしく決意表明だったわけで、栗原は10月に入ると、妄執の虜になっていった。

〈五体満足で定年退官した。しかし、家に帰ると妻から何故、殉職しなかったかと詰られた。嘘と信じられないと思いますが事実であります。離婚裁判になり、思い出して頭から離れません〉

〈妻に家計を一任させていたので退職金等は全て使い果していた。定年後に働いた金員は、宇都宮家裁から没収され、これでは、老後は自決判決だ。(中略)大げさにしなければ成りません〉

 そう綴りながら、

「最後に見えたのは事件の3日前、木曜の夜でした」

 とは、栗原が行きつけだった市内の焼鳥店店長。

「半年前から月に3、4回はいらしていました。でも20日は、見たことないくらい落ち込んでいた。麦焼酎の水割りを静かに飲んで帰って行きましたね」

 と明かすのだが、

「普段はいつも『寂しいよ』と口にしていて、酔うと女性の2人客に酒を振舞ったり、私にも『女の子のいる店知らない?』と聞くので何軒かスナックを紹介しました。お金に困っていたように報道されていますが、パチンコ好きで『5万負けちゃった』なんて、あっさり言う。ちっとも悔しそうじゃありませんでした」

 精神科医の町沢静夫氏が指摘する。

「祭りの会場で爆発を起こしたのは、そこに集まる人々に対し『皆さんは楽しいかもしれないが自分はそうではない』と訴えたかったのだと思います。周囲の評は『温厚な人』だったそうですが、それゆえ家庭のトラブルから逃れられず、上手く解決できない自分への怒りもあったはず。こうした家族や社会の矛盾への怒りが、爆発という主張になったのでしょう」

 なにしろ“命を絶って償う”と大見得切って周囲を巻き込んだのだ。これ以上の矛盾などあるまい。

特集「自作爆弾で不幸な老後を吹き飛ばした身勝手な『元自衛官』」より

週刊新潮 2016年11月3月号掲載

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