AV転落の坂口杏里 母の遺産を3年で使い果たす…転機はホストとの連絡先交換

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■転機は2014年秋

 さて、母親の死後である。杏里は六本木ヒルズレジデンスに住んでいたという。

「あそこは安い部屋でも家賃が月30万円前後するのに、どうして住めるのかと聞くと、“事務所が給料を上げてくれて”と言っていましたけど、事務所の月給は50万円ほどだったはず」

 そう話すのはテレビ局の制作関係者。杏里の生活が大きく変わるのは、2014年の秋。そのころから新宿歌舞伎町のホストクラブWの常連客は、杏里の姿を頻繁に見かけている。

「杏里は信じやすく、ホストから“俺の彼女な”なんて言われると、信じて貢いじゃうし、その後輩のホストにも酒を振るまうんです。支払いは100万円単位でも必ず現金。お気に入りホストK君の誕生日には、500万円のシャンパンタワーをやって、彼を独占したいからと、ほかの客に50万円渡して、店から出て行ってもらっていました」

 続いてボーイズバーへと梯子するのが常で、

「杏里ちゃんは3、4カ月前まではよく来ていました。多いときで10万円くらいかな、現金で払ってた。酔うと“酒早くもって来い”と言ったり、おしぼりを投げたりしていたけど」

 と、ボーイは腫れ物に触るような口調だ。杏里がホストにはまったきっかけを、彼女の旧友が語る。

「歌舞伎町屈指のホストクラブグループが毎年開催する“エアコレ”というイベントが14年8月に行われました。杏里は翌月に公開された主演映画『ハニー・フラッパーズ』の出演陣と一緒に、ファッションショーの審査員として参加。その際、所属事務所の“ホストと連絡先を交換するな”という指示を破って、あるホストに惚れて連絡先を交換し、ホストクラブとの距離が一気に縮まったんです」

 むろん、そんな金遣いが長く続くはずはない。待ち受けていたのは、AV出演という末路だった。

特集「シャンパンタワーから成人向けDVDまで 『坂口良子の愛娘』絵に描いたような転落人生」より

週刊新潮 2016年9月29日号掲載

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