AV転落の坂口杏里 母の遺産を3年で使い果たす…転機はホストとの連絡先交換

芸能週刊新潮 2016年9月29日号掲載

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■娘に仕事を残そうと…

 坂口がミス・セブンティーンに選ばれて芸能界に入ったのは1971年、15歳のときだった。翌年、ドラマ「アイちゃんが行く!」で主演に抜擢されると、アイドル女優として人気が沸騰し、「池中玄太80キロ」(1980年)では大人のかわいさを振りまいた。

 そんな彼女が“地上げの神様”と呼ぶ人もあった19歳年上の田山恒彦氏と結婚したのは86年。89年に長男、91年に杏里を授かるが、94年に離婚している。

「前夫が不動産業で多額の負債を抱え、連帯保証人だった良子さんも40億円もの借金を背負い、自分の家も失った。彼女は女優業で稼いで借金を返しながら、杏里ちゃんを育てたんです」

 芸能レポーターの石川敏男氏はそう語るが、借金は10年ほどで完済。97年ごろからは、プロゴルファーの尾崎健夫(たてお)氏(62)と交際するようになった。

「良子さんが尾崎さんと結婚したのは、結腸がんで亡くなる半年前の2012年8月。15年間も入籍しなかったのは、杏里ちゃんが反対していたからです。良子さんはそれほど杏里ちゃんのことが大事で、08年にデビューした杏里ちゃんが芸能界に残れるかどうかも心配で、慣れないバラエティ番組で積極的に母娘共演を引き受けていた」(同)

 そんな努力が実を結んだか、杏里は一時、“おバカキャラ”でバラエティ番組の常連になったが、それでも13年3月に亡くなるまで、母は娘に「助け舟」を出し続けた。坂口が母娘でイメージキャラクターを務めていた化粧品会社の幹部は、

「亡くなる5日前、坂口さんは尾崎さんと一緒に契約の更新に来られました。体調が悪そうで、エスカレーターを降りると車椅子で帰られた。報道で亡くなられたと知って驚きました」

 と述懐。娘に仕事を残そうと、無理を押して契約を更新したのだ。だが、杏里は徐々に身を持ち崩す。

「母親が亡くなった直後、杏里は親しい知人に“ママが遺してくれた数千万円は使わないで取っておく”と話していました。その知人は今年の7月、久々に連絡を受けて“10万円貸してくれない?”と言われたそうです。遺産は3年で使い果たしたみたいです」(芸能事務所関係者)

■依存体質

 彼女には子供のころからそうした“芽”が見られたという。幼馴染みのひとりが語る。

「瑞恵(杏里の本名)は小学校から成城学園に通っていたけど、小学生のころから学年で1人金髪で、勉強ができなくて高校は内部進学できず、母親もお兄ちゃんも通った堀越に移りました。中学時代からジャニーズ好きで、芸能人の知り合いが多い子に“ジャニーズのタレント、紹介して”と頼んで、断られると激怒し、長文のメールを送りつけるんです。中学のとき、ジャニーズとつながれるという課金サイトに5万円振り込んで、騙し取られたことも。女性アイドルにも貢いでいました。依存体質で、誰かを気に入るとプレゼントしまくるんです。瑞恵の家に遊びに行ったとき、夜におかあさんが帰ってきて、財布から1万円札を10枚ぐらい抜いて、“これでピザでも取って食べてね”と言ったのには驚きました」

 ちなみに、高校時代も、

「瑞恵ちゃんは勉強が全然できなくて、赤点ばっかり取っていたのは印象に残っています」

 と、同級生は振り返る。

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