〈「お言葉」を私はこう聞いた〉立憲君主制と皇室典範の意義――百地章(日本大学法学部教授)

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■陛下のお心を忖度

 全国各地の家庭、職場、街頭、さらに被災地において、多くの国民が陛下のビデオメッセージを拝し、涙を浮かべている被災者もいる。その様をテレビで見ていると、終戦時、頭(こうべ)を垂れて昭和天皇の玉音放送に静かに耳を傾けていた人々の姿が二重写しとなった。

 陛下が穏やかに語られるお言葉の内容もひたすら国民のことを思われるもので、その点においては終戦時の昭和天皇のお言葉と変わらない。ビデオメッセージの中で陛下は、国民を思い国民のために祈るのが天皇の務めであり、天皇として何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることが大切であると考えてきた、とお述べになった。

 陛下は、ご公務が完璧にできなければ象徴天皇の地位に留まるべきでないとのお考えである。そこまで陛下が天皇の地位の重さとご公務の大切さを真摯にお考えくださることは、国民の一人としてまことに有難く恐懼(きょうく)するばかりである。このような陛下のお心を、国民も政治家も最大限ご忖度申し上げなければならない。

■陛下の「私的ご発言」と宮内庁の責任

「天皇に私なし」というのが皇室の伝統である。であればこそ、天皇の公的発言としての終戦時の詔勅や東日本大震災時の今上陛下によるビデオメッセージは、揺れ動く国民の心を一つにすることができた。

 しかし、今回の陛下のお言葉の特徴は「私が個人として、これまでに考えて来たこと」「私の気持ち」と繰り返されているように、あくまで「私的ご発言」という形を取っている。

 本来であれば、このような私的ご発言は、内々にとどめられるべきである。報道によれば、陛下は5年ほど前から側近にご退位の意向を示されてきたという。しかし宮内庁は、これに本気で向き合おうとしなかった。それどころか野田内閣当時には、羽毛田長官の主導のもとに、陛下のご意向と異なる「女性宮家」問題がにわかに浮上し、国民世論を混乱させてしまった。

 こうして、事態が一向に進捗しない中、思い余った陛下が直接国民に語り掛けざるを得なくなったわけで、その直接の責任は宮内庁にあると思われる。

■陛下のご意向と皇室制度の在り方

 しかし、たとえ私的とはいえ、陛下のご発言は重く、各種世論調査でも「陛下のご意向に沿ってご退位を」という国民の声が圧倒的に多い。まさに君民一体のわが国の国柄を如実に示すものといえよう。

 とはいえ、わが国は立憲君主国である。立憲君主制のもとで、果たして陛下の私的ご発言のままに政治が行われることがあっても良いのか。お言葉によれば、陛下は譲位を望まれ、摂政を置くことについても否定的でいらっしゃる。もし陛下のご希望をそのままお認めしようとすれば、皇室典範の改正は不可避となるが、本当にそれでも良いのだろうか。

 憲法は天皇の「国政関与」を認めていない。それ故、今回の陛下のご発言もそのことを踏まえ慎重になされているが、実際に仰ったことは皇室典範の禁止している「譲位」を望むということである。このような場合、陛下のご意向のままに直ちに制度そのものを変えてしまっても良いのか。事は2千年にわたる皇室制度に関わるからである。

 明治の皇室典範制定に当たっては、過去千数百年の歴史を振り返り、慎重に検討したうえで「譲位制」を否定、現在の「終身制」を採用した。そして、その不備を補うために「摂政制度」を重視したわけであって、その結論は重い。また現在の皇室典範制定に当たっても慎重な検討を加え、明治と同じ制度を採用した。その先人たちの判断は尊重すべきであろう。それ故、少なくとも一時的なムードや国民感情に左右されて結論を急ぐべきではない。

■超高齢化社会と新たな課題

 他方、陛下が述べられた「超高齢化社会」においてこのままで良いのかとの問い掛けについては、真剣に受け止めなければならない。これは明治や昭和の典範制定時にはなかった新しい課題だからである。そのための制度設計については、内々に、しかしできるだけ早く検討に取り掛かる必要があると思われる。

「特集 天皇陛下『お言葉』を私はかく聞いた!」より

週刊新潮 2016年8月25日秋風月増大号掲載

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