「反アベ」で議論が終始することへの違和感 都知事選にまで持ち込まれる「ワンフレーズの正義」

政治2016年7月14日掲載

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■「お前は人間じゃない!」という叫び

「自・公」対「民進・共産・社民・生活」連合の戦いとなった参議院選挙に続いて、野党統一候補・鳥越俊太郎氏の出馬で都知事選でも同様の構図が見られることになった。

 この数年、日本の政治は常に「安倍」vs「反アベ」という論点で常に語られてきた。参院選後、民進党の岡田克也代表は「安倍政権下での憲法改正論議には応じられない」旨の発言をしている。要は「アベとはまともに話せない」というスタンスだ。

「反アベ」の象徴とも言えるのが、昨年、国会前で頻繁に行なわれたデモだろう。鳥越氏も参加したこのデモには、「民進~」連合の党首たちも参加して、「連帯」ぶりを見せつけていた。

鳥越俊太郎氏

 こうしたデモについて、「民主主義の健全さを示すものだ」と高く評価する論者も多い。彼らは、「民主主義を破壊するアベの危険性がなぜ分からないのか」と危機感を募らせており、強い言葉で首相を批判し続ける。「反知性主義」「ナチスと同じ」「戦争好き」等々。

 もっとも有名なフレーズの一つは、デモに参加した学者が発した「アベに言いたい。お前は人間じゃない!」だろうか。

 しかし一方で、こうした主張や論法に抵抗を持つ人も少なくない。そういう人たちはデモこそ行なわないものの、どこかデモをする人たちに違和感を抱えているようだ。

 その違和感はどこから来るものなのか。

 日本大学危機管理学部教授の先崎彰容氏は、著書『違和感の正体』の中で、デモについて明晰な分析を行っている。先崎氏は、6月21日、BSフジ「プライムニュース」に出演した際にも鋭いコメントを連発して話題となっている。『違和感の正体』から一部を引用してみよう(以下、同書の「デモ論」より)。

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■ドンキホーテの正義感

 筆者が国会前デモに「違和感」を覚えたのは、ある高名な大学教授が聴衆を前にして「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」と叫んでいるのを、咎める人がいなかったときからです。

 映像をみた瞬間、2つの違和感が一気に襲ってきた。

 第一に、彼の心を占拠している正義感とドン・キホーテのそれをどう区別したらよいのでしょうか。

 この知識人に筆者が「違和感」を感じたのは、批判の矛先が総理大臣という役割ではなく、安倍晋三という個人にむかっていたからです。

 個人への誹謗中傷や罵詈雑言は、思想的には正反対であるはずのネット右翼のヘイトスピーチに奇妙なまでに似ています。ヘイトスピーチの批判対象が在日外国人であれば同情の対象となり、安倍氏にたいしては許可される根拠は、いったい何処にあるのか。

 筆者は在日外国人に日々日本語を教えながら生活相談にもかかわっており、差別したことはありません。と同時に、個人的に一切面識をもたない安倍氏にたいしては、彼の性格を戦争好き云々とイメージで誹謗する権利がそもそもありません。

 総理大臣という地位のもつ特権的重要性はともかく、筆者は原則的に「人間はみな平等である」という立場なので、前者と後者に否定語を浴びせかける/かけないを分けるその基準がわからない。人間、誰であれ相手を大声で罵倒することはよくないと思うからです。

 するとおそらくデモ行為を正当化しているのは、権力=悪、弱者=善という無邪気なまでの正義感だけしか考えられません。

■ことばを放り出した凡庸な学者たちへ

 彼らデモをする人は、一見、ラジカルなように見えます。

 しかしほんとうに「ラジカル」なのは、自分の正義をふくめた社会一切の善悪を、一度はギロチンにかけてみる勇気ではないですか。

 おそらくニーチェが主張したことはそういうことだったはずです。

 社会全体が砂礫(されき)のように瓦解していくのに呑み込まれ、善悪判断の基準があやふやになることに取り込まれ、「ものさしの不在」に苛立ち、ワンフレーズの正義にすがるくらいなら、知識人である資格などないでしょう。

 そうではなく、むしろこの時代状況を見すえ、みずからの手で陳腐な善悪をギロチンにかける思想を生み出すことが、時代への処方箋なのです。安易な自己主張などあり得ないことを肝に銘じ、究極の相対主義の実験に耐えながら。

 知識人は今まで何のために「ことば」と格闘してきたのでしょうか。

 もし現在が非常時であればある程、彼らは必死にこの時のために日頃培ってきた言論で勝負すべきではないですか。

 筆者がここでいう「ことば」とは、反原発や戦争反対、反韓、反中などのワンフレーズとは異なります。ことばとは本来、まったく異なる世界観をもって生きている他者、すぐ隣にいるのに世界を別の仕方で理解している他者とのあいだに架橋する営みのことです。

 自分と他者とのあいだには手探りしなければ分からない壁のようなものがある。

 だからこそ私たちは抑揚や使い方を意識し、工夫を凝らし続けるのです。

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 都知事選に限らず、選挙において、表層的ではない議論が繰り広げられることを期待する人は多いだろう。すでにワンフレーズの応酬にうんざりしている有権者は多いのではないだろうか。

デイリー新潮編集部