象のはな子が起こした2度の殺人事故…酔っ払いと飼育員を踏み殺す

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〈戦後見つめた〉〈復興のシンボル〉。象のはな子が死んだことを伝える新聞記事にはそんな表現が目立ったが、その69年の生涯は常に光に包まれていたわけではない。はな子の一生を振り返る上で避けて通ることはできないのが、2度にわたる殺人事故である。

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はな子 死亡のお知らせ

 東京都武蔵野市の井の頭自然文化園。はな子が死んだ翌5月27日、象舎の前に設置された献花台には多くの花が手向けられ、その付近には、人目も気にせずに涙を流し、娘らしき女性に肩を抱かれる老婆の姿もあった。そうした「追悼ムード」に水を差すのは憚られると考えたのかどうか定かではないが、はな子の死を伝える新聞記事において、問題の殺人事故はさらりと触れられるのみだった。

 井の頭自然文化園の担当者に聞いても、

「1回目の事故は、酔っ払いの方が夜中に入り込んで踏まれてしまった。2回目は飼育員の方が踏まれてしまった。ただ、当時のことに詳しい人はもういないですね。何しろ50年以上も前の話ですから……」

 と、多くを語らない、その2回の悲劇とはいかなるものだったのか。

■無惨な遺体

 戦後初めて日本にやってきた象として人気を博していたはな子が最初の事故を起こしたのは、1956年6月のことだった。

〈象にふみ殺される 忍び込んだ中年男〉

 そんな見出しを掲げて事故を報じた当時の朝日新聞の記事によると、被害者は機械工具会社に勤める44歳の男性。井の頭自然文化園の近所に住んでいた彼には動物をからかう癖があり、それまでにも開園前に度々園に侵入、警察に調べられた過去があった。その日も閉園時間中に忍び込んだと見られるが、事故の目撃者はゼロ。しかし、彼がはな子に踏み殺されたのは現場の状況からみて明らかだった。何しろ、象舎にある深さ2㍍余りの溝で発見された彼の遺体の胸には、

〈象の足跡がはっきり残っており、胸骨もメチャメチャに折れている〉

 踏まれた時の衝撃のためか、彼の服はビリビリに引き裂かれていたという。

〈象の花子、二度目の殺人 飼育係をふみつけ〉

 最初の事故から4年近くが経過した60年4月、朝日新聞に掲載された見出しだ。被害者ははな子の飼育係だった54歳の男性で、象舎の中にあおむけに倒れているのを他の係の者などに発見されたが、その際、彼のそばには、

〈花子さんが“キョトン”と立って〉

 いたという。エサやりの最中に起こった悲劇と見られ、その遺体は1回目の事故の時と同様、肋骨が粉砕された無惨なものだった。

 最初の事故の被害者の親族は当時の状況について、

「いや、私が10歳とかの頃の話だから、全然分からないですよ。(被害者の子どもたちも)みんなバラバラになっちゃって、どこにいるか分からないし……」

 と言うのみ。

「はな子」にお別れ

 象の生態に詳しい獣医師の北澤功氏が語る。

「象を巡る事故は多いけれど、死亡事故となるとあまりない。そういう事故があって、はな子は不運だったんですが、周りに愛されて、晩年はすごく幸せだったのではないかと思います。69年というのは、象としてはすごく長生きです」

 陰影に富んだ69年の生涯だった。

「ワイド特集 言ってはいけない」より

週刊新潮 2016年6月9日号掲載

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