「乳がん」全摘前に娘と銭湯へ…2度の再発を経験した生稲晃子 がんに打ち克った5人の著名人(2)

芸能週刊新潮 2016年5月19日菖蒲月増大号掲載

  • 共有
  • ブックマーク

部分切除手術を受けるが、翌13年10月に再々発。三たび部分切除した。(イメージ画像)

 女優の生稲晃子さん(48)は、乳がんでもすでに2度の再発を経験。幼い娘のために生き続けたいと乳房全摘を決断している。

 右乳房に8ミリ程度のがんが見つかったのは11年3月。早期で転移もなかった。

「久々に受けた人間ドックでがんが発見されて、部分切除で乳房も温存された。先生からもラッキーですよと言われていたんです」

 術後2日目に退院。その翌々日には、レギュラー番組「ちい散歩」(テレビ朝日系)における通販パートの収録に臨んだ。

 放射線治療でさらにがん細胞を叩き、ホルモン療法で予防すれば、再発のリスクは下がるはずだった。

 だが、翌12年春のことである。

「乳房に、ニキビのような形で、光って主張するようなものを見つけたんです」

 再発だった。

 前回同様、部分切除手術を受けるが、翌13年10月に再々発。三たび部分切除したものの、主治医にこう宣告される。

「これが最後の手術だとは思わないでください。もう一度再発したら危険です」

 裏返せば、再発が続く可能性が高いということだ。死をはっきり意識させられた。

「初めて先生の前で泣きました。生き残るには、乳房全摘しかないというのはわかっていましたから。横にいた夫は他にも選択肢があるのでは、と必死で訊いてくれたんですが、先生は命を優先したいと。そのとき娘は7歳。この子が20歳になるまでは親として責任がある、生きなければと思いました」

 全摘手術は、仕事に支障のない年末と決まった。それまでの数カ月で強く記憶に残るのは、娘と行った銭湯でのひととき。かねてより7歳の女の子が願ってきたことなのだが、生稲さんの仕事が多忙だったこともあり、先延ばしになっていた。胸がなくなって銭湯に行く勇気が持てるだろうか……。そう考えると、自然と足が向かった。

「昔ながらの普通の銭湯なんですけど、念願叶った娘はキャッキャ騒いでホントに嬉しそうで。このまま時間が止まってくれたらなあって。すごく楽しい時間でした。でも、すごく悲しい時間でもありました」

 手術までのあいだ、右胸に手をあてては、「ごめんね」と謝っていた。自分は何か悪いことをしたのか、だからバチが当たったのか……。すべてをネガティブに考えてしまう自分がいた。

 手術が終わっても2日目までは恐くて患部を見ることができなかった。意を決して確認したところ、

「……ないよね、と。意外と傷口が綺麗で。でも、ここまで来ちゃったなと」

 病室で年を越した生稲さんは元日の日記にこう書いた。

〈0時になった瞬間笑顔になってみた。この日記を書いているいまも笑顔である〉

〈失った胸は戻ってこない。いまある自分の全てでこれから幸せに生きていこう〉

 その頃から、がん公表を考えるようになる。そうすることで人の役に立つかもしれないと。

「がんになる前に心理カウンセラーの資格をとっていたのです。マイナスをプラスに変えていく思考法を勉強したんですが、その知識が自分を変えてくれたのだと思います」

 昨年、前出のレギュラー番組が最終回を迎え、乳房再建手術が完了したこともあって、病魔との闘いを明かしている。

「すごく楽になりました。励ましの言葉をいただいたり、がんの患者さんと気持ちを共有できて嬉しかった」

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人 Part3――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

生稲晃子
1968年生まれ。元おニャン子クラブ。近著に『右胸にありがとう そして さようなら~5度の手術と乳房再建1800日~』(光文社)

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』、近著に、『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある