三菱グループ幹部が一堂に会する「金曜会」その異様な光景とは

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 東京・丸の内にある三菱商事本社ビルの最上階、21階は主に客の接待用に使われることから「迎賓館」と呼ばれている。普段は客をもてなすフレンドリーな雰囲気に包まれているそのフロア、そしてそこへ通じる専用エレベーターに緊張感が満ちるのは毎月第2金曜日のことだ。昼前になると、三菱グループの主要企業29社の社長や会長などが続々と参集、21階にある大会議室で例会を行うのである。毎月第2金曜日に例会がもたれることから、この三菱グループ29社による親睦会は「金曜会」と呼ばれている。

三菱自動車

「例会といっても堅苦しいものでは全くなく、基本的には、集まった皆で昼食を共にし、その都度外部から呼ぶ講師の講義を聞くだけです。ただし、その雰囲気はかなり異様なものがありましてね……」

 と、金曜会に参加したことがある三菱グループの関係者が明かす。

「大会議室の中にはコの字型にテーブルが置かれ、その真ん中にグループの御三家、三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行のトップが座る。グループ内の序列が低い会社ほどテーブルの端に近くなります。今回、不祥事を起こした三菱自動車はグループ内では下位に位置づけられている。テーブルについた社長や会長の後ろには、それぞれのお付きの者も居住まいを正して座っています」

 正午、その日の講師が会議室に入ってくると、司会を務めるグループ社員が講師の人物紹介を始め、

「同時に、食事が部屋に運び込まれる。私が参加した時はカレーライスとサラダ、スープ、デザートでした。当然、そのカレーもグループ内の序列の順に配られるのですが、グループのお歴々が無言で猛然とカレーをかきこむ光景は相当異様でしたよ。皆、5分ほどで食事を終え、その後35分ほど講義を聞き、それが終わると20分くらい質疑応答が行われます」(同)

■“日本のために三菱は”

 三菱御三家のうち、家長の役割を担ってきた三菱重工には、「産業報国主義」的な考えが脈々と受け継がれてきた。俺たちが日本の産業、経済を支えてきた――という強烈なプライドは三菱グループ全体に浸透しているようで、

「金曜会の講義での質疑応答の際も、“日本のために三菱は何をすべきか”というテーマに沿った質問が出ることが多い」(同)

 というのだが、金曜会がそうした天下国家の話ばかりをする会かというと決してそうではない。

「実は、三菱グループについての話をする必要がある時は、例会が行われる前か後に御三家のトップだけが別の部屋に集まって会議をするのです。そこでは三菱グループの今後についてだけではなく、グループ内の主要企業の役員人事なども話し合われます」(同)

■「ようやくトップ集団に入れた」

 この金曜会に参加できる立場になった後、周囲に、

「ようやく自分も三菱のトップ集団に入れた。エスタブリッシュ集団の仲間入りを果たした」

 と漏らしたのは、三菱自動車の社長を経て2014年に会長に就任した益子修氏(67)である。

「三菱自動車は00年にリコール隠し問題が発覚し、その後も02年にはトラックのタイヤ脱輪による母子3人死傷事故、04年にはまたしてもリコール隠しが発覚して倒産の危機に直面。そんな中、立て直しのために送り込まれたのが三菱商事出身の益子氏です」

 と、経済誌記者は語る。

「益子氏はまず、古巣の三菱商事などを説得して、三菱グループ全体で合計5000億円分の優先株を引き受けてもらう支援策を呑ませた上、社内では商事や銀行出身の人間を重用して立て直しを進めた。で、14年までに優先株を全て処理し、会社を倒産の危機から救ったのです。その剛腕ぶりから、“益子天皇”と呼ばれることもあります」

 14年6月、会長に就任した益子氏の後を受けて社長に就任したのが、相川哲郎氏。それから2年も経たないうちに今回の「燃費データ不正操作問題」が発覚したわけだが、いずれにせよ、一旦は三菱自動車を復活させた“益子天皇”ですら、金曜会の中では末席に連なる存在に過ぎない。

「特集 三菱自動車『相川哲郎』社長の実父『三菱グループの天皇』かく語りき『自動車は潰さない! 燃費なんて誰も気にしていない!』」より

週刊新潮 2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号掲載

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