【熊本地震】湯河原にいた“熊本藩主”細川元首相 松野頼久は水を配れず

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 大地の凄まじい揺れに民衆が襲われても、“殿”のお姿はお見かけしなかった。実はちょうどそのとき、細川護煕元総理(78)は、神奈川県湯河原の別邸で、来客を迎えていた。一方、かつて、その秘書を務めていた松野頼久代議士(55)は、被災者のためにミネラルウォーターを調達したものの、配ることができなかったという。

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細川護煕元総理

 熊本市の中心部にある泰勝寺庭園の一角に、細川邸は建てられている。趣きのある山門と土塀に囲まれた、瓦葺の2階建てだ。

 もともと東京生まれの細川元総理は、1971年の参院議員初当選後から、総理在任期間を経て、政界引退までの27年間、そこに生活の拠点を置いた。

 その後、陶芸家への転身に伴い、湯河原に移り住んだのである。

 地震当日の様子を細川元総理に聞くと、

「ここ湯河原で、お客さんの応対をしていたときにニュースで知り、大変に驚いた。留守を預かっていた息子の嫁から電話で、熊本の自宅は屋根瓦が落ちたり、庭の灯籠が倒れたくらいで済んだと聞きました。他の方々と比べると深刻な被害ではなかったようです」

 現在、熊本には、同じく陶芸家である長男とその妻、小学1年の孫娘の3人が暮らしているという。

「息子は、個展の準備のために名古屋に滞在中でした。交通網がダメになってしまい、熊本にはすぐには帰れず、阿蘇山の麓にある窯もどうなっているのか確認できていないはず。息子の嫁と孫娘は、危なくて夜もおちおち寝ていられないので、先に県外に避難しました。私自身、熊本に知っている方も多いですから、できるだけ早く戻りたいと思っているのですが、なかなかその状況にならなくて……」(同)

■2つの誤算

 では、細川元総理の元秘書で、地盤を引き継いだ、民進党の松野代議士は何をしていたのか。

松野頼久代議士

 民進党関係者が言う。

「松野さんは15日、羽田から熊本入りし、被災地を視察してから、とんぼ返りしている。東京で、携帯電話の充電器や懐中電灯など支援物資をできるだけ調達しようとしたわけです。ところが、深夜に本震が起こり、熊本空港が使えなくなってしまいました」

 そのため、翌日は福岡空港から熊本を目指すことになった。

「福岡に到着すると、コンビニやドン・キホーテをタクシーでまわり、2リットルのミネラルウォーターを30本以上、買い込みました。松野さんとしては、支援物資を苦労して集めたのですが、誤算が2つありました。1つは、電気の復旧が思いのほか早く、充電器や懐中電灯の必要がなくなってしまったこと。もう1つは、選挙区内でミネラルウォーターを配ると、有権者への寄付行為に該当し、公選法に抵触しかねないと気づいたのです」(同)

 それらの支援物資は、事務所に山積みになっているという。

 結局、殿だけでなく、往時の忠臣も民衆の期待に沿えなかった。

「ワイド特集 『熊本地震』瓦礫に咲く花」より

週刊新潮 2016年4月28日号掲載

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