遺産250億円 急逝したザハ・ハディドが残したもの

社会週刊新潮 2016年4月14日号掲載

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 その死に謎が多いためか、エルビス・プレスリーのように未だ生存説も囁かれている。新国立競技場のデザイン案が白紙撤回されたわずか8カ月後、ザハ・ハディド女史が65歳の若さで急逝した。実は、アンビルトの女王と呼ばれていたものの、その遺産は250億円にものぼるという。

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 ハディド女史は急性気管支炎の治療のため、米国・マイアミの病院に入院していたところ、3月31日、容態が急変し、心臓発作で息を引き取った。

 現地のジャーナリストが解説する。

「彼女は、自らデザインした超高級マンションの建設プロジェクトに参加するため、マイアミビーチに持っていた住居に滞在していました。事務所が、死に至った病状についてあまり明らかにしていないので、いろんな憶測が飛び交っています。なかには、タクシーに乗っていたとか、ショッピングモールで買い物していたとか、未だ目撃情報が流れているほどです」

 日本において、その名が一躍知られるようになったのは、新国立競技場のデザインからだった。巨大なアーチと独特な流線型のそれは、東京五輪招致の目玉だったものの、総工費の高騰が批判を浴び、取り消しになったのは、ご存じの通りだ。

■“中東の王女さま”

 そもそも、ハディド女史は1950年、イラクのバグダッドに生まれた。実業家兼左派系リベラリストの政治家を父親に持ち、母親は芸術家だった。

 彼女への取材経験がある、建築雑誌の編集者が振り返る。

「ザハさんは10代のころ、イギリスの寄宿学校に通い、一旦、バグダッドに戻ってから、1972年、サダム・フセインが権力を握ると、家族とともに再び、イギリスに渡った。非常に家柄の良い娘だったので、“中東の王女さま”と呼ばれていたと聞きました」

 そして、ロンドンの建築専門大学で学び、1980年に事務所を開設した。

「ムスリムなので、酒席には顔を出しても、お酒を口にすることはありませんでした。ただ、一時はかなりのヘビースモーカーで、カフェで1時間も話をしていると、灰皿がいっぱいになるくらい。でも、2000年になる前にタバコは止めました。食事は基本、ベジタリアンなのですが、昔の方が肥っていた。仕事が趣味で、ずっと独身を通していました」(同)

 建築家としては、2004年、“建築界のノーベル賞”と言われるプリツカー賞を女性で初めて受賞。ロンドン五輪で使われた屋内水泳施設「ロンドン・アクアティクス・センター」や「広州オペラハウス」、「ローマ国立21世紀美術館」などが代表作である。ただ、前衛的で斬新なデザインのため、技術や予算の問題で建設に至らないことも多く、“アンビルトの女王”という称号も得ている。

 前出のジャーナリストによれば、

「事務所のスタッフは、ロンドンとドイツ、中国を合わせれば総勢430人。彼女自身、世界最高の報酬を得ている建築家の1人で、年間90億円を稼ぐこともありました。あちこちに不動産を所有し、複数のレストランも経営していて、その遺産は250億円にもなると言われている。ですが、相続の対象になる親族は、すでに80歳を超える兄が1人いるのみなのです」

 死を迎え撃つ砦も、建てることは叶わなかった。

「ワイド特集 櫻の樹の下には」より