「安田純平さん」を拘束する「ヌスラ戦線」指導者は医学部中退のカリスマ

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“残忍さはイスラム国よりマシ”と報じた新聞もあるが、ナメてかかるのは以ての外だ。何しろ、戦場ジャーナリスト・安田純平氏(42)を拘束したと伝えられる“ヌスラ戦線”は、泥沼の内戦が続くシリアにおいてアサド政権だけでなく、当のイスラム国にまで牙を剥く“過激派”である。人質の命運は、そのカリスマ指導者が握っているのだ。

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〈いま、シリアです〉 

〈トルコの回線で連絡してるの?〉

〈はい、もうギリギリです〉

 昨年6月23日の深夜、安田氏は知人のジャーナリスト・常岡浩介氏とメッセージのやり取りをしたのを最後に音信を絶っていた。

 常岡氏が明かすには、

「安田君がトルコを経由してシリア入りしたのは、ヌスラ戦線を中心とする反体制派がシリア北部のイドリブを制圧した頃。反体制派から取材許可は出ていて、本人も“ヌスラ戦線に接触する”と話していました」

 だが、安田氏はあえなく囚われの身となる。そして、最後の交信から9カ月を経た今月16日、憔悴しきった表情を浮かべる安田氏の映像がネット上に公開されたのである。

 では、今回の“拉致事件”でその名が取り沙汰されるヌスラ戦線とは一体、どんな組織なのか。

 東京外国語大学の飯塚正人教授(イスラーム学)によれば、リーダーはアブー・ムハンマド・ジャウラニというシリア人だという。

「彼に関する情報は限られますが、1974年から81年までの間に生まれたとされる。もともとは、シリアの最高学府であるダマスカス大学の医学部で学ぶ秀才でした。ただ、03年にイラク戦争が勃発したことで彼の人生は一変します」

 医師の卵だった青年は、義勇兵としてイラクへと渡り、米軍との戦いに身を投じたのだ。

■イスラム国と決別

「イラク戦争が終結すると、反米勢力の兵士たちはクウェート国境に近い“キャンプ・ブッカ”という収容所にぶち込まれます。学のあるジャウラニは、他の囚人たちに古典アラビア語を教えていました。実は、このキャンプには、後にイスラム国の幹部となる連中が軒並み収監されていた。最高指導者のバグダディもその1人です。ジャウラニも08年に釈放されるとイスラム国の戦闘員として活動を始めました」(同)

 まもなく、シリアで内戦が勃発すると、ジャウラニは故郷へと舞い戻り、12年にヌスラ戦線の結成を宣言。過激化の一途を辿るイスラム国と袂を分かち、アルカイダに忠誠を誓う。

 ジャウラニはわずか数年で反体制派の中心となり、いまやヌスラ戦線の勢力は1万人規模に膨れ上がった。その多くはシリア出身者で、5万人の兵士を擁するイスラム国と血で血を洗う戦闘を繰り広げている。

 ちなみに、ヌスラはアラビア語で“支援”を意味し、シリア周辺の人々を救済するのが彼らの目的だという。

「シリア内戦で最初に自爆テロを仕掛けたのはヌスラ戦線ですが、一般市民に残虐な行為を働かない点でイスラム国とは一線を画しています」(同)

 身代金目的で外国人を誘拐するものの、イスラム国のように“斬首”映像を流したりはしない。12年に拘束されたアメリカ人ジャーナリストは約2年後に解放され、その際には300万ドル(約3億4000万円)の要求があったという。

「日本政府に交渉が持ち掛けられたのは間違いなく、外務省関係者は“長期化は避けられない”と漏らしています」(政治部デスク)

 中東の火薬庫で存在感を増すカリスマとの、一筋縄ではいかない交渉は続く。

「ワイド特集 さまざまの事おもひ出す桜かな」より

週刊新潮 2016年3月31日号掲載

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