「桂三木助」がオランダで「小朝」に打ち明けた忍びよる自死の予感

芸能週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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 高級外車を乗り回し、連日連夜、ネオン街に繰り出す遊び人。噺家の四代目桂三木助は「落語界の新人類」と揶揄されつつも、1985年に真打昇進と同時に大名跡「桂三木助」の襲名を果たした。が、脂が乗り始めた矢先の01年に、彼は自ら命を絶った(享年43)。生前から覚悟があったのか、「兄(あに)さん」と慕った春風亭小朝(60)に、早くから死の予感を打ち明けていた。

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春風亭小朝さん

「つひにゆく 道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを」

 六歌仙の1人、在原業平が主人公とされる『伊勢物語』の終盤には主人公が自らの死期を悟る場面が登場する。時代は1000年以上異なるが、噺家の三木助も早くから自分の死を悟っていた。

「ホテルの部屋で雑談していたら、突然“兄さん、葬儀委員長やってもらえませんか?”って言い出したんです。“何それ?”って聞くと“いや、ちょっと頼みたいんですよ”って……」

 バブル真っ盛りの83年頃。小朝師匠は三木助と共にテレビのロケでオランダを訪れていた。三木助はまだ二ツ目で、当時は「柳家小きん」を名乗っていた。 

「アムステルダムに着いた日の夕方でした。夕食まで時間があるからと、三木助さんが僕の部屋に遊びに来ていたんです。そこであんなことを言い出すもんだから……。“もちろん良いけど”って返すと、“ついては呼んで欲しい人と絶対に呼んで欲しくない人がいるんです”って具体的な名前を挙げ出したわけです」

 小朝師匠は、戸惑いを隠せなかったという。

「これはシャレじゃないと感じて“何でそんなこと言ってんの?”って聞いたんです。すると“兄さん、僕ね、長くは生きられないと思うので、今のうちにお願いしときたいんですよ”って。こんな話をされること自体がショックだったから、“分かったよ”って話を終わりにしたんです。もちろん、2人とも素面(しらふ)でした」

 遠い目で振り返る小朝師匠は今も、窓から差し込む夕日に照らされた三木助の姿が忘れられないという。

■サバの味噌煮

 三木助は立教大学在学中に、父親の三代目桂三木助の親友だった柳家小さんに弟子入りした。演芸評論家の吉川潮氏によれば、

「前座や二ツ目の頃はあまり稽古に熱心でなく、六本木の遊び人というイメージばかりが先行していました。ところが、真打昇進と桂三木助を襲名したことで自覚が出たのでしょう。遊びの虫は影を潜めて先輩の噺家だけでなく、評論家の僕にまで積極的にアドバイスを求めるようになりました」

「地位が人を作る」と言う通り、昇進と襲名は三木助の大きな転機となった。が、ほどなく彼は死生観が一変する事態に見舞われた。

「三木助は、レポーターや俳優業も封印して落語に専念していました。ところが、昇進から8年後の93年に重度の胃潰瘍を患って胃の4分の3を切除した。これを機に彼は、58歳で胃がんのため亡くなった父親の死を意識するようになりました。以来“父親のようにがんで死ぬんじゃないか”とか、“自分も早死にするかもしれない”と弱音を吐くようになったんです」(同)

 再び小朝師匠が回想する。

「お腹にバッサリと大きな傷が残ってしまってね。スタイリッシュなモテ男だった三木助さんには、ショックだったと思います。以降は食事もお酒の量も極端に減って、明け方までへべれけになって大騒ぎしていた彼が、コップ1、2杯でよだれを垂らして寝ちゃうわけです。彼自身も、忸怩たる思いがあったでしょう」

 彼の心と身体の変化はその後も見られたという。

「肉料理やイタリアンが大好きだったのに“兄さん、お袋のね、サバの味噌煮が旨いんですよ”なんて言う。それからある時、寄席を終えて仲間と飲みに行ったら、“好きな人たちとこうやっているのは楽しいなあ”って呟いたんです。らしくない言葉に、僕は“相当弱ってるなあ”って心配していた矢先の自殺だったんです」

 三木助の父は、人情噺『芝浜』で右に出る者がいないとされた、落語界を代表する名人の1人だった。

「三木助さんは97年の芸術祭で、過去に父親も貰った優秀賞を受賞して喜んでいた。ところが一方で“親父が死んだ年齢を超えられないかもしれない”と漏らしたりする。友人関係や芸の悩みもあったようですから、そういう幾つもの公私の問題が積み重なって、いつしか彼が目にし続けてきた“死の風景”につながったのではないでしょうか」

 冒頭の業平は「体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」と評された。「二枚目で奔放な性格、学問はまずまずだが良い和歌を詠む」という意味で、まるで三木助の人物評のようでもある。

 ただし、「つひにゆく道」は三木助にとって「いずれゆく道」だったのである。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より