大貫さんが拾得「現金1億円」は誰の金だったのか

社会週刊新潮 2016年3月10日号掲載

 ごく普通の生活を送っている人でないのは確かなのだ。普通の人は銀座のど真ん中に1億円もの現金を落としたりしないし、万が一落としたとしても、すぐに名乗り出るだろう。1980年に起こった大貫久男さんによる「1億円拾得事件」。今もって解明されていない落とし主を巡るミステリーに下される、36年後の「最終判決」――。

 ***

 トラック運転手の大貫さんが“それ”を拾ったのは、80年4月25日午後6時頃のことだった。場所は東京・銀座3丁目の昭和通り沿い。ガードレールの支柱の上にあったそれを古新聞か何かだと思って、何気なくトラックの荷台に積みこんだ。帰宅後、銭湯に行って自宅に戻ってみると、妻が真っ青になっている。風呂敷の中から出てきたのは1000万円の札束が10個、合計1億円……。それぞれ日銀の検札印が刻まれた帯封で束ねられ、4月24日付の日本経済新聞と株式新聞の夕刊でくるまれていた。

 大貫さんはすぐさま警察に届け出、コトは翌日の新聞各紙で大きく報じられる事態となった。何しろ、宝くじの1等賞金が3000万円の時代に、道端で1億円を拾ったのだ。騒ぎにならないほうがおかしいが、それから半年が経過しても持ち主は名乗り出ず、大貫さんは1億円から税金を引いた6600万円を手にすることになったのである。

 その大貫さんも2000年に他界し、今年で事件から36年。今に至るまで落とし主は名乗り出ておらず、

「これまで、様々な説が取り沙汰されてきました。大企業の政界工作資金だったとか麻薬取引の代金とか……」(経済誌記者)

 一体、大貫さんが拾う前、あの1億円はどこにあったのか? それについての「最終判決」を下そう。

■受け取った5億円

 事件当時、金の運搬役を務めた人物の関係者が語る。

「あの金は、持ち去られる直前まで、加藤さんの事務所にあったものです」

“加藤さん”とは、「誠備グループ」元代表の加藤あきら氏(74)。伝説の相場師と言われた男だ。当時、大貫さんが1億円を拾った現場から歩いて2、3分のところに加藤氏の個人事務所があった。そうしたことから、これまでにも落とし主として加藤氏の名は取り沙汰されてきたが、結果的にそれが“当たり”だったわけだ。

「事件当時、金の運搬役を務めたのは3人です。加藤さんの事務所の近くに車を停め、運転手は車に残り、2人が加藤さんの事務所に入った。そこで、2人は計5億円を受け取った。4億円はカバンに入っており、1億円は風呂敷に包まれていた。2人はカバンに入っていた4億円はきちんと車に乗せたのですが、風呂敷に包まれた1億円を路上に置き忘れてしまったのです」(同)

 1億円の重さは約13キロ。一旦路上に置いたとしても、それを“置き忘れる”ことなどあり得るのだろうか。

「金を運ぶ際、加藤さんはいつも“早く持っていけ”と急かすのです。そのせいで焦って置き忘れてしまった。車を出した後に気付いて戻ったのですが、すでに風呂敷はなく、近所の人に聞くと“ヤクザみたいな人が持っていった”と言う。ただ、翌日、大貫さんが拾ったことが記事になり、運搬役の3人は安心したそうです。表沙汰にならなければ、彼らが金を“抜いた”と疑われますから」(同)

 いずれにせよ、1億円は直前まで加藤氏の事務所にあったものだった。が、これにて落とし主を巡る謎は解決、一件落着――とはならない。この関係者によると、1億円は加藤氏自身のものではなく、別の人物の投資資金だったというのだ。

「それについてもこれまで、政治家や京都の墓石屋などの名が取り沙汰されてきましたが、全て間違い。では誰なのか? それだけは口が裂けても言えません」

 残されたミステリーに「最終判決」が下されるのはいつの日か。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より