「黒澤明」参謀が明かした「勝新太郎」と大喧嘩の一部始終

エンタメ 映画 週刊新潮 2016年3月3日号掲載

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 なにしろ世界のクロサワである。撮影現場でも天皇のように君臨したが、天皇が2人いれば、南北朝じゃないが、騒乱が起こらずにはすまない、ということか。かくして勝新は『影武者』の主役を降ろされ、日本映画史に深く刻まれる事件と相成ったのである。

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俳優の勝新太郎(左)、黒澤明監督(右)

「黒澤さんと勝さんの話は、いろんな人が話していますけど、全部でたらめ。役者ってのは自分をよく見せようとしたがるから、ウソがある。私がその時のことを知る唯一の人間です」

 そう語るのは、1998年に亡くなった黒澤明監督の助手を長年務めた野上照代さん(88)である。

 結論を先に言えば、『影武者』はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、27億円を超える興行収入を記録。降板騒動の話題性もヒットに一役買ったと思われるのだが、ともかく、野上さんが言う「その時」とは、79年7月のことだった。

 だが、もう少し遡って振り返ってもらう。

「黒澤監督は主人公とその替え玉がいる設定が面白いと思って、『影武者』の脚本を書いたんでしょう。主役の武田信玄とその影武者は、当初は若山富三郎と弟の勝で行こうとしていた。兄弟で似ていましたからね。しかし若山に“勝新と一緒ではできない”と断られ、勝が信玄と影武者の二役、信玄の弟の信廉(のぶかど)役に、勝に似ている山崎努さんが選ばれました。監督は、勝の映画は見てなかったと思いますよ。ブラウン管の中で見つけたんでしょうけど、そもそも勝新と黒澤さんとでは、性格的に無理があったんです。黒澤さんは被写体を徹底して作り上げ、細部まで自分の意図した絵を求めますが、勝は自分で監督をやりたい人。自分をどう撮るか、いちいち口を出すようなところがありました」

 実際、撮影が始まる前から予兆はあったという。

「信廉役の山崎努さんを勝に似せるため、勝に自分の写真を送ってもらいましたが、届いた写真のいくつかの裏面に“これを参考にしろ”という○印が。そういうことをするからこの人はいけないんだ、と思いました。また、黒澤さんは衣装合わせやリハーサルに時間をかけるんですが、勝はそれに参加せず、我々が京都まで赴いて衣装合わせをした。そのとき勝が馴染の店に連れて行ってくれたんですけど、途中から顔を真っ白に塗った芸子さんが来て、勝は楽しそうだけど、黒澤さんは“なんだ、あの気持ち悪いのは。首まで真っ白だったじゃないか”と言っていた。そんなところも2人は合いませんでした」

■「黒澤さんがいけない」

“証言”する野上さん

 79年6月26日、いよいよ姫路城にてクランクインした。勝は遅れて、7月17日から参加したが、

「リハーサルで、勝は用意された台詞をわざとそのまま言わないんです。俺はこう言いたいんだという感じで、黒澤さんが何回注意しても直らなかった」

 翌日、事件は起きた。

「勝が朝早くから来ているというのでメイク室に向かうと、山田かつら店の社長が“無理だ、ダメだ”と言っているのが聞こえる。勝は、自分の演技を確認したいからカメラを回すと言っていました。そして“俺は自分で言ってくる”と、監督がいるセットに向かったので、私は追いかけました。勝は椅子に座っている監督にしゃがみ込んで話していましたが、あとで黒澤さんに聞くと、しばらくして意図がわかって、勝を“余計なことをするんじゃない”と一喝したそうです。怒った勝は、立ち上がって出て行きました」

 黒澤監督から「ちょっと見に行ってよ」と言われた野上さんが後を追うと、

「雨の中、番傘をバサッと投げ捨て、衣裳部屋に向かって行きました。その後のことは根津甚八から聞きましたが、“勝が衣装を脱ぎ捨てたので、トイレにでも行くのかと思ったけど、カンカンに怒っていて、カツラまでむしり取ったので何かあったと思った”とのことでした。衣裳部屋を出た勝は乗ってきたワゴン車に乗り込み、しばらく動かなかった。田中友幸プロデューサーが宥(なだ)めていて、私がその様子を黒澤さんに報告したら、“もういい、俺が行くから”と。黒澤さんはワゴン車に乗り込むと、非常に冷静に“勝君がそうならやめてもらうしかない”と言いました。勝は立ち上がって黒澤さんに掴みかかろうとし、田中さんが“勝君、それはいけない!”と羽交い締めにして、まさに松の廊下でした」

 騒動はすぐにマスコミに伝わり、翌々日に記者会見が行われたが、

「その時、私は監督に呼ばれて、“仲代に空いてないか聞いてみて”と言われ、監督の会見中に、廊下を隔てた小部屋で仲代達矢さんに電話しました。結局、この騒動は、間違って勝を主役に選んだ黒澤さんがいけないんですよ」

 さて、その後である。

「勝新は『影武者』に未練があったようで、いろんな人に相談して復帰できないか画策し、監督に会えないかと手を尽くしていました。私のところにも何通も手紙が来ました。映画の完成後、80年4月に有楽座で上映会を行ったんですが、そこに誰が呼んだのか、勝新が来たんです。その一報を聞き、私は鉢合わせさせてはいけないと思い、適当な理由をつけて仲代さんを事務室に隠しました。黒澤さんはいつの間にか裏に逃げていました(笑)」

 勝は「俺がやっていたらもっと面白かった」と語ったそうだが、はたして“降板騒動”を超えるほど面白くなったものだろうか。

「特別ワイド 吉日凶日60年の証言者」より