「それはいけない!」と勝新太郎を羽交い締め…まさに松の廊下「影武者」降板をめぐる“黒澤明監督との大喧嘩”一部始終
「おやかたさまは、あれにござるわ」――隠された武田信玄の死、瓜二つの容貌により信玄の影武者となった盗人。黒澤明監督の「影武者」が第33回カンヌ国際映画祭の最高賞(パルムドール)に輝いたのは、1980年5月23日のことだった。邦画が同賞を受賞したのは衣笠貞之助監督の「地獄門」(1954年)以来。黒澤監督5年ぶりの新作、ジョージ・ルーカスとフランシス・フォード・コッポラが制作実現に尽力と、世界が注目する一作だった。
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日本でもこの年の邦画配給収入で1位を記録したが、もっとも注目されたのは「勝新太郎の降板騒動」である。撮影開始直後の1979年7月、黒澤明監督との衝突により主役を降ろされるという日本映画史に残る大事件だった。事件についてはさまざまな証言が存在しているものの、本当のところはどうだったのか? 黒澤明監督の助手を長年務めた人物が真実を明かした。
(「週刊新潮」2016年3月3日号「『黒澤明』参謀が明かした『勝新太郎』と大喧嘩の一部始終」をもとに再構成しました。年齢等は掲載当時のものです)
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いろんな人の話は全部でたらめ
なにしろ世界のクロサワである。撮影現場でも天皇のように君臨したが、天皇が2人いれば、南北朝じゃないが、騒乱が起こらずにはすまない、ということか。かくして勝新は「影武者」の主役を降ろされ、日本映画史に深く刻まれる事件と相成ったのである。
「黒澤さんと勝さんの話は、いろんな人が話していますけど、全部でたらめ。役者ってのは自分をよく見せようとしたがるから、ウソがある。私がその時のことを知る唯一の人間です」
そう語るのは、1998年に亡くなった黒澤明監督の助手を長年務めた野上照代さん(88)である。
結論を先に言えば、「影武者」はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、27億円を超える興行収入を記録。降板騒動の話題性もヒットに一役買ったと思われるのだが、ともかく、野上さんが言う「その時」とは、1979年7月のことだった。
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