「沖雅也」が涅槃で待った「日景忠男」晩年の煩悩

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日景忠男氏

「涅槃(ねはん)」とは安楽の世界を意味する仏教用語である。この言葉を聞くと、今も自殺した俳優の沖雅也(享年31)を思い出す。当時、彼の事務所社長、日景忠男氏との“ただならぬ関係”が話題を呼び、日景氏も脚光を浴びた。もっとも、8年前に覚せい剤取締法違反で逮捕。その行方は杳として知れなかったが、実は、1年程前に亡くなっていたのだ。

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〈おやじ、涅槃で待つ〉

 沖が日景氏に宛てた遺書にこう書き残して、ホテルの最上階から飛び降りたのは1983年6月である。

 二人が出会ったのは沖が16歳の時。彼が売り専のホモバーでバイトしていた際、日景氏が声を掛け、共同生活を始めた。そして事務所を設立し、沖は人気俳優となった。75年には養子縁組をしている。

 むろん、彼の自殺の報は世間に衝撃を与えたが、原因は日景氏との愛憎の縺(もつ)れとも言われた。あれから33年、改めて、日景氏に話を聞くべく接触を試みると、

「忠男は、昨年2月に亡くなりました。最後まで面倒を見たのは姉です。葬式も行われなかったと聞いています」(親族の一人)

 話を沖の自殺に戻すと、

「日景は、私に『沖の自殺は、事故みたいなものだった』と話していました」

 と、日景氏と30年以上親交のあった知人。以下は、彼が初めて語る秘話である。

「沖はホモではなく、女好きの普通の男でした。日景は嫉妬深くて束縛するタイプで、沖はそれに嫌気がさしていた。で、日景の財布から50万円抜き取って家出し、ホテルに2日間滞在。当時、報じられたようにホテトル嬢を呼んで、自殺する少し前まで性交していた。実は、沖は彼女に、日景に一通の手紙を渡してほしいと頼んだそうです」

 ホテトル嬢は、沖が何度も指名した、お気に入りだった。日景氏と“同棲”していた沖のマンションを訪れたこともあるという。

「彼女は、自殺のニュースを見て、慌てて手紙を日景に届けた。その手紙には、『ホテルに迎えに来てほしい』と書いてあった。日景に言わせれば、自殺する人間が迎えに来いとは言わないだろう、というわけです」

 日景氏は生前、沖は自殺する3年前から躁鬱病だった、と明かしている。

「さらに沖が亡くなった後、日景は、彼が飛び降りる直前に声を掛けたというガードマンにも話を聞いた。すると、飛び降りたというより、バルコニーの縁に座っていた沖に“何やってんだ”と声を掛けたら、驚くような感じで振り向き、バランスを崩して落ちた、と説明したというのです」

 沖が当時、精神的に不安定であったことは間違いない。ただ、日景氏は、沖は本気で死のうとは思っていなかった、と見ていたのだ。

 当時、沖に掛けていた保険金は3億円。沖の事務所が受取人になっていた。

「元々、保険金は1億円しか掛けていなかった。ところが、日景が知らないうちに保険会社の担当者が3億円に設定し直したといいます。それで、期せずして高額なお金を手に入れたのです。後日、日景は現金3億円をベッドに敷き詰め、その上に寝っころがったとか。その時、『これが沖の全てだ!』と思わず口にしたそうです」

■売上げを横領

 だが、沖の実母と遺産の分配で揉め、数千万円を和解金として支払った。新宿2丁目でゲイ喫茶を始めたため、運転資金も必要となり、日景氏の手元に残ったのは2億円程だったという。

「彼は気前はいいものの、物凄い浪費家。保険金でベンツやティファニーなど超高級な調度品を買い漁っていた。海外旅行に行っては、1泊17万円する部屋に1カ月泊ったこともありました。沖が亡くなって3年で保険金を全部使い果たしてしまったんです。その後、知人の会社社長から2億円借り、マニラに別荘を建てたこともあります。でも、その借金も踏み倒し、社長は激怒していました」

 ゲイ喫茶の経営も鳴かず飛ばずであった。02年5月、店を閉じるはめになる。

「最後はテナント料を700万円ほど滞納していた。借金でクビが回らなくなり、沖と暮らしていたマンションも差し押さえられることに。調度品も売り払い、中野のアパートに引っ越すことになったのです」

 この知人は、当時、イタリアンレストランを経営していた。03年、日景氏の窮状を見かね、声を掛けたという。

「五反田は風俗店が多いわりに、案内所が少なかったんです。そこで無料案内所を一緒にやらないかと持ちかけ、私が社長で日景を専務にし、会社を立ち上げました。儲かり始めると、彼は経理をやると言い出したのです」

 だが、日景氏は05年12月、覚せい剤取締法違反で逮捕され、役員を退任させられる。

 そして08年秋、再び同じ容疑で逮捕され、懲役1年2月の判決が確定した。

「後からわかったのですが、日景は店の売上げを2億円近く横領していました。しかも、その後、彼はアパートから品川のタワーマンションに引っ越したのです。税務署からは申告漏れの指摘を受けるし、会社も解散に追い込まれた。世話になったこともあったが、本当に酷い目にあった。それで彼とは縁が切れたのです」

 2度目の逮捕の後、

「彼は元々C型肝炎を患っていて、勾留中、腹水が溜まり入院し、肝硬変と診断されたそうです。刑務所では、基本的に寝たきりで、車椅子を使わないと移動できないくらいでした」(別の知人)

 78年の生涯を閉じた日景氏。涅槃で今頃、沖を束縛しているに違いない。

「特別ワイド 吉日凶日60年の証言者」より

週刊新潮 2016年3月3日号掲載

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