母は十年かけて少しずつ死んでいった。体中の機能が失われていき、やがて口を動かす機能が失われた。口が動かなければ食べられない。ある日、母のからだに直接栄養剤を送り込むための胃瘻の手術をし、その帰りがけに、中華料理屋で母のいない食卓を囲んだ。母が二度と食べることのなかった、あの餃子の味を、私は忘れることができないだろう。
あれは生きながら母を弔う通夜だった。母が少しずつ死に向かう間、私は突き動かされるようにして、濃厚に死の匂いのする現場に入り、『エンジェルフライト』で国際霊柩を、『紙つなげ!』で被災者の再生を描いた。...
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群馬県内にて覚醒剤を購入したことが報じられている、清原和博(48)。「週刊新潮」2月10日発売号が、密売人家族と、薬物仲間の証言を掲載している。
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群馬県東部に位置するみどり市に、その家はある。
「本当に清原さんにクスリを売っていたんでしょうか。確かにうちの娘の旦那は、“清原さんと付き合いがあるんだ”と言ってはいましたが……」
ポツポツと語り始めた、密売人の義母。
「清原さんはこれまで2度、この家に来られました。いずれも夏でしたから、短パンにTシャツ。...
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