清原容疑者 薬物仲間の直接証言「大魔神のパーティーでキメキメだった」
前章で触れた「密売人」を清原に紹介。すなわち、今回の逮捕の直接のキッカケを作ったのは、清原の長年の“薬物仲間”だった田辺大作(45)=仮名=なる人物である。実はこの男、訳あって、昨年からアチコチのメディアに「清原ネタ」を売り込み、本誌(「週刊新潮」)にもその依存の実態を述べていた。
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「キヨと6年ぶりに関係が戻ったのは、2014年8月。“ナベちゃん、久しぶり”といきなり電話がかかってきて、会うとやっぱりクスリの話。それからはほぼ毎日一緒にキメていましたね」
田辺氏が本誌の取材にそう答えたのは、昨年6月のことである。
田辺氏は、競馬の予想会社や出版社などを経営し、著名プロゴルファーをマネージメントしていたこともある実業家。清原の「タニマチ」と報じられたこともある。しかし、昨年2月、覚醒剤使用の咎で逮捕。本誌に接触があったのはちょうどその保釈中で、「証言」の見返りとして、弁護士費用や薬物治療費用などの負担を求めてきたのだ。
田辺氏は、本誌の前後にも、別の週刊誌に「売り込み」をかけている。言わば、共に悪事に手を染めながら、自らの身を守るために、仲間を“売って”いたワケだ。
清原の“友”のレベルが窺い知れるが、そもそも、2人の関係はどこから始まったのか。
田辺氏はこう述べていた。
「接点を持つようになったのは1997年。キヨが巨人に入団した年の宮崎キャンプです。知り合いの会社社長に誘われ、ゴルフをしたのが始まりでした」
巨人時代の清原容疑者
田辺氏によれば、清原はその時点で既に覚醒剤の使用経験があった。そして2人は、クスリの世界にどっぷりと浸かっていく。
「この頃のキヨはセックスのためにクスリを吸っていた。よくホテルの部屋を借りて一緒にキメていましたが、彼はコトの後、前後不覚になり、ブツが散らばったままで帰ってしまう。ですから、私は後に残って3時間もかけて部屋を掃除しなければいけませんでした。亜希ちゃんと結婚して以降も同じで、ベロンベロンになってうちに来て、帰る前にクスリの臭いを消すため、頭から香水をかぶり始めたこともあります」
これで現役選手として曲がりなりにも活躍していたのがウソに思えるが、ここで清原に転機が訪れる。01年、田辺氏がコカイン所持で逮捕。脱税の罪でもお縄となり、塀の中に落ちたのだ。これを機に2人の関係は途切れた。ところが、だ。
■“どうぞご自由に”
「いやぁ、もう周りに誰もおらんねん」
田辺氏の元に再び清原から電話が来たのは、先述の通り14年8月であった。
この時期の清原は、孤独を極めていた。その年3月、「週刊文春」で薬物疑惑が報じられ、仕事は激減。妻子とも別居していた“寂しさ”に負けた彼の頼る先は、もうここにしかなかったのか。以降の清原は、坂を転げ落ちていく。
田辺氏によれば、
「この頃のキヨは、私から見ても危ないと思えた。すぐに“死ぬ”と言うようになり、冗談に聞こえなかったくらいです。私と縁が切れた後、クスリは名古屋の暴力団関係者から仕入れていたと言っていましたが、その男が懲役に行って調達先に困っていた。そこで私は自分の“ネタ元”を紹介してあげた。群馬にいる、古い付き合いの密売人です」
その年の12月、清原は、久しぶりに公の場に出た。“大魔神”佐々木主浩氏の野球殿堂入りパーティーに現れたのだ。スポーツ紙などは好意的に報じていたが、
「実は、キヨはあの3日くらい前から、毎日ガンガン入れまくっていて、私が“行くな!”と止めたくらい。見る人が見れば、すぐにわかってしまう状態でした」
“親友”の晴れ舞台にも、正常な状態で臨めないほど、清原はクスリのぬかるみにはまっていたのである。
年が明けた15年2月、田辺氏と密売人は、突如、清原が業務提携する芸能事務所の意を受けた人物から、本人との関係を絶つように迫られる。これについては次章で述べるが、こうして再び清原との関係が切れた田辺氏は、同月、覚醒剤使用で逮捕された後、マスコミに情報を提供し始め、同時に、警察とも接触を始めた。
「勾留の最中、いきなり刑事から呼ばれて“どうしても清原をやりたいんだ”“協力してくれないか”と言われたんです。そこで弁護士を通じて清原に“心配するな。俺はしゃべらない”と伝えたのですが、向こうからは“どうぞご自由にしてください”と返事が来た。それで私もあいつとの関係を清算すべきと思い、すべてを話すことにしました」
この情報を元に当局は「清原捜査」を徹底。逮捕に結びつけたというワケだ。
悪友に吸い込まれるように近づき、そして売られた清原。これも身の回りの人物の是非すら峻別できなかった“報い”としか言いようがあるまい。
「特集 総力取材!『清原和博』汚れたお薬手帳」より
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