宮内庁記者たちが胸騒ぎを覚えて……老いを告白された「天皇陛下」絶句15秒間の異変

社会週刊新潮 2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号掲載

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 時に饒舌(じょうぜつ)よりも沈黙が、雄弁に「何か」を物語ることがある――。82歳になられた天皇陛下が、お誕生日記者会見で突如、絶句される一幕があった。この「アクシデント」は何を意味しているのか。自ら老いに言及された陛下にとっての、「戦後70年の年」の検証。

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「行動あってこその象徴」とのお考えを持っておられる天皇陛下

「今年は先の大戦が終結して、70年という節目の年にあたります」

 皇居内の「石橋の間」で、天皇陛下はゆっくりと、そして聞く者の胸に染み入る独特のトーンで話されていた。

「この戦争においては、軍人以外の人々も含め誠に多くの人命が失われました」

 戦後70年の掉尾(とうび)にあたり、先の大戦での犠牲者に対する陛下の深い思いが、改めてひしひしと伝わってくる。次のお言葉が待たれた。

「……」

 襟を正す約20人の「聴衆」。

「……」

 静寂が時と場を支配する。

「……」

 続くお言葉がなかなか発せられず、聴衆の間に気まずさが漂う。

「……平和であったならば、社会のさまざまな分野で有意義な人生を送ったであろう人々が……」

「失われました」から「平和」に辿り着くまでの時間は、ゆうに10秒を超え15秒ほどに達した。聴衆は、否応なく陛下の「異変」を感じざるを得なかった──。

 2015年12月23日、天皇陛下は82歳のお誕生日を迎えられた。それに伴い恒例となっている記者会見が開かれたのだが、そのなかのワンシーンが「沈黙の15秒」だった。

「今回の会見は、天皇陛下がご高齢であることを再認識させられるものとなりました」

 お誕生日会見に出席した聴衆の1人である宮内庁の記者会に所属する記者は、こう感想を漏らす。そして、

「絶句された以外にも、陛下のお歳を感じさせる場面が見られました」

 と、「不安」を口にするのだった。その詳細に入る前に、まずは天皇陛下にとっての「2015年」を振り返っておく。

 お誕生日会見での陛下のお言葉を持ち出すまでもなく、2015年とは、すなわち戦後70年の節目の年であった。天皇ならびに皇后両陛下におかれては、それは同時に慰霊の年であることも意味していた。そのハイライトのひとつは、4月のパラオご訪問だったと言えよう。

「戦後60年の年にサイパンを訪れた両陛下にとって、以来、パラオでの慰霊は文字通りの悲願でした」

 こう解説するのは宮内庁関係者だ。

「昭和天皇が崩御されて以降、両陛下は先代が足を運ぶことのできなかった沖縄や海外での慰霊が、ご自分たちの任務であるとの強い覚悟を持たれていた。したがって、30度を超える酷暑で、しかも海上保安庁の巡視船にお泊りになるという過酷な条件にも拘(かかわ)らず、パラオご訪問を決行されました。あまりの暑さに、同行者の中には脱水症状を訴える人までいましたが、陛下は長袖を着られ、慰霊の献花などに臨まれました」

 このような旅が、両陛下のお身体に負担とならないはずはないが、周囲の懸念をよせつけないほどに、天皇皇后の慰霊の旅への思い入れは強かった。

「新年も、1月26日から5日間の日程でフィリピンを訪れることが決まっています。しかし、傘寿を超えた両陛下にとって、サイパンに続くフィリピンご訪問が楽なものであるわけがない。本当にお身体は大丈夫なのだろうかと心配していたところでした」(同)

 そうした矢先に迎えたのが、お誕生日会見だった。

「陛下は我々記者のほうを向かれ、用意していた紙に再び目を落とされたのですが、どこまで読んだか、次はどこから読むべきなのかが分からなくなってしまい、絶句されたように見えました」(前出記者)

■「声のトーンが急に…」

 一方で、会見を取材した別の宮内庁担当記者は、

「沈黙の後にお言葉を再開された陛下は、ご自身も出席なさった15年6月の観音崎(神奈川県横須賀市)の追悼式について話されたのですが……」

 と前置きしつつ、こう感想を明かす。

「この話題についてお話をなさっている間、陛下の声のトーンが急に変わった。私には、お言葉に詰まられているのではないかとさえ感じられたほどです。この追悼式で陛下は、先の大戦で軍に徴用され、米軍の爆撃などで亡くなった、民間の船員ら6万3000人が祀(まつ)られた『戦没船員の碑』に供花されました。その時のことが思い出されたのか、犠牲になった人たちに思いを馳せ、胸が詰まり、必死に感情を押しとどめていたため、絶句し、声が震えてしまわれたように映りました」

 いずれにせよ、沈黙に続く声の「変調」によって、少なからぬ記者の脳裏に「82歳」という天皇陛下のご年齢が過(よぎ)ったのである。

「会見の冒頭で、自然災害の話に触れられた陛下は、その7カ月前に噴火した口永良部島の話題に言及されました。その際、『口永良部島の“にいだけ”が噴火して……』と仰ったのです」

 と、さらに別の記者が続ける。

「噴火した“新岳”は“しんだけ”と読むのですが、誤りに気付かれた陛下は、すぐに言い直されていました。単なる読み間違いなのでしょうが、やはり不安を覚えました」

 というのも、皇室ジャーナリストの神田秀一氏が説明するには、

「天皇陛下は、会見にあたってご自身で綿密に、時間をかけお言葉を練られます。正確を期した上で、天皇と国民の関係性が表せているか、憲法に抵触しないか、政治に関与することにならないか、外交に影響を与えないか、といったことに神経を配られ、まるで作家のように原稿の細部にわたって推敲を重ねる。つまり、お言葉は『自分の言葉』として頭に入っているはずなのに、この度の会見では絶句され、読み間違いが起きた。ご高齢を象徴していると感じます」

 しかも、である。

「陛下のご負担を配慮し、前年は2つ認められていた記者団からの質問が1つに制限されました。また、事前に陛下に内容が伝えられる通常の質問とは別に、会見の場で記者がさらなる質問をし、陛下が即興でお答えになる『関連質問』も前年に続いて取りやめになった。そのため、かつては1時間近くに及んだこともあるお誕生日会見が、今回は約20分で終了。異例の短時間会見となりました」(前出関係者)

 このように、さまざまな策が講じられていた中での「異変」だったのだ。

 もっとも、天皇陛下もお歳を「自覚」されているご様子で、会見の最終盤にこう仰っている。

「私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。ひとつひとつの行事に注意深く臨むことにより、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」

 先の関係者がこのお言葉の意味を読み解く。

「戦後70年の8月15日の全国戦没者追悼式で、通常であれば全参列者の黙祷の後に陛下のお言葉が続けられるところを、黙祷の前にお言葉を述べられてしまうという場面がありました。おそらく、これを『行事の時に間違えることも』と表現されたのでしょう」

 奇しくも、陛下にとっての2015年は、ご体調面でも「節目の年」となったのかもしれない。

■陛下のご負担軽減策

天皇皇后両陛下

 そうだったとしても無理はない。82歳のご高齢に加え、これまでに前立腺がんの摘出と、心臓の冠動脈のバイパス手術という2度の大きな手術を受けられていることを考え合わせると、お誕生日会見を目の当たりにした記者ならずとも、陛下のご体調を案じるのは当然と言うべきであろう。なにしろ、

「ひとつ年下の皇后陛下も、年々、耳が遠くなられ、遅くまで起きているのがお辛くなっていると聞きます。天皇陛下は、ご自身だけでなく美智子さまのお身体も心配なさっており、ご懸念は尽きません」(天皇ご一家に近い関係者)

 そして何よりも、先に触れた通り、慰霊をはじめとする数多(あまた)の「行事」が陛下のお身体に負担を与えていることは間違いあるまい。

 皇室ジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡辺みどり氏は、

「皇太子ご夫妻が、天皇皇后両陛下のお仕事をもう少し代わりに担うことができれば、両陛下の負担軽減につながるでしょう」

 と指摘しつつも、こう懐疑的な見解を示す。

「しかし、雅子さまのご病気の関係で、それには非常に難しいところがあります。15年8月、東宮ご一家は日比谷図書文化館で開かれた戦争関連の展示会に足を運ばれていますが、夏休みにご家族でお勉強──といった域を出ないように感じられました。両陛下のように、鎮魂のご姿勢をもう幾分かでも前面に出していただきたいところです」

 また、単に天皇陛下と皇太子殿下の「親子」の問題に留まらず、

「公務を引き継ぎ、儀式を継承することは、東宮ご一家のお付きの者にとっても、大事な意味合いを持ちます。例えば美智子さまは、十二単(ひとえ)に着替えられ、祈りを捧げるなどの神事をたびたび行っていらっしゃいますが、雅子さまが皇后陛下から徐々にでもこうしたものを学び、引き継いでいかなければ、東宮ご一家の周りの人たちにも、皇室の大事なしきたりが伝わっていかないということになりかねません」(同)

 要は、脈々と続いてきた皇室の伝統まで、断絶の危機に陥りかねないというのである。

 こうした現状では、逆にまだまだ皇太子ご夫妻に重要な行事を任せるのは心許(こころもと)ないと、陛下が思われている面もあるのだろうか。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏曰く、

「天皇陛下は『行動あってこその象徴』とのお考えを持っておられます。『休むのは悪いこと』とお考えになっているのでしょう。陛下にはお仕事を譲るなどしてその数を減らし、楽になろうというおつもりがないのだと思います」

 慰霊の旅をはじめとする、天皇陛下の自らの「使命」に対する並々ならぬお気持ち。一方、天皇とはいえ加齢と無縁でいることはできない。2016年を迎え、戦後70年の節目の年が過ぎ去っても、陛下のご年齢との「戦い」は終わることがない──。