【「田中角栄」追憶の証言者】ロッキード逮捕後の初インタビュー秘録――佐藤修(モンゴル日刊紙東京特派員)
金脈問題を追及されて退陣した角栄は、1981年1月10日発売の「文藝春秋」に“六年間の沈黙を破って”登場する。だが、これは看板に偽りありだ。実は、ロッキード事件での逮捕後、初の肉声を掲載したのは、遠くブラジルの日系人向け新聞だった。取材した佐藤修氏(70)が秘話を明かす。
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田中角栄
取材当日、私が総理復帰の可能性についてしつこく食い下がると、角さんは「わかった、わかった」と言って、こう続けたのです。
「やってできないことはないと思いますよ。しかし、人間には分がある。英国を勝利に導いたチャーチルでさえ戦後、国民から休養しなさいと言われた。私も国民から“大分くたびれただろう”と言われている。ただ、それなりの立場で責任は果たします」
それを聞いて、“ついに引き出した”と思いましたよ。ロッキード事件で逮捕されても、彼はまだまだやる気に満ちているんだ、とね。
80年当時、南米の通信社の東京支局長を務めていた私は、ブラジルの「パウリスタ新聞」から「田中角栄のインタビューを取れないか」という依頼を受けます。しかし、取材を申し込むと、秘書の早坂茂三さんに断られてしまった。悔しく思った私は、「ブラジルに移住した多くの日本人が田中先生の声を聞きたがっている。ブラジルで大統領をやったらどうか、という声もあるほどです」と言い残しました。その言葉が届いたのか、12月に取材を受けるとの連絡があったのです。
初めて対面した時、角さんは硬い表情でしたが、私がポルトガル語で「ドトール・タナカ、コモバイ・シニョール(田中先生、こんにちは)」と挨拶すると、すぐに顔を綻ばせた。総理時代にブラジルを訪問した記憶が蘇ったのでしょうね。
その後は終始、ご機嫌で、「リオのホテルの窓から、コパカバーナの海岸で遊ぶビキニ姿の美女が見えましてね。ふんどし姿で繰り出そうとしたら兵隊に止められたんだ」と笑い話を披露したかと思えば、現地で会談したガイゼル大統領に対し、「私は若い頃、ブラジル雄飛を目指していた。もしブラジルに来ていたら、あなたの有力な対抗馬になっただろう」と語ったとも。
政局については聞かない約束でしたが、記者の心情を汲んでくれた。お蔭で「文藝春秋」より早い、翌年の元日に〈角さん大いにブラジルを語る〉という記事を掲載できたのです。
「ワイド特集 再び振り返る毀誉褒貶の政治家の魅力的実像 二十三回忌『田中角栄』追憶の証言者」より
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