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【「田中角栄」追憶の証言者】地元神社の裏の階段が何段なのか言えなきゃダメだ!――鳩山邦夫(代議士)
「歩いた家の数、手を握った人の数しか票は出ない」というのが田中角栄の信条だった。ロッキード事件で有罪判決を受けた直後の83年の総選挙でも圧倒的な強さを見せつけ、自身最多の22万761票を得て議席を死守。元祖“選挙の神様”の面目躍如だったが、彼が40年以上も前に、鳩山邦夫代議士(67)に伝えていた選挙の極意がある。
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「国会議員になりたければ、選挙に勝たなきゃならない。それには絶対に地元を知らなくちゃいけない。地元を知るということは……」
懐かしそうに、44年前の田中とのやり取りを振り返るのは邦夫代議士だ。...
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【「田中角栄」追憶の証言者】角栄の懐の深さに「竹下登」が泣いた日があった――齋藤隆景(新潟県議会議員)
1985年2月に角栄が脳梗塞に倒れると、田中派所属の竹下登蔵相(当時)は反旗を翻し、自派閥「経世会」を立ち上げた。2人のわだかまりは終生解けなかった、というのが政界での定説だが、齋藤隆景・新潟県議(71)は、“オヤジの真意”に触れて竹下が泣いた日を鮮明に覚えていた。
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世間的に竹下先生が派閥を割った経緯は、「総理へのステップである幹事長にしてくれない角栄に反発した」「復権を目論む角栄を見限った」との見方が一般的です。でもね、僕に言わせれば事情は全く違うんです。...
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