「イスラム国と対話の可能性」――“聖徳太子の時代の人々”と話し合えるか?

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 パリ同時多発テロを受け、各国は強硬策を取るべく、連携を深めている。しかし、日本の言論空間には絵空事としか思えない意見がある。例えば、「イスラム国(IS)との対話の可能性」についてはいかがだろう。

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 飯塚正人・東京外大教授(イスラーム学)に訊けば、

「あまりに現実味がなさ過ぎて、はっきり言って“机上の空論”です」

 と、当然の答えが返ってきた。そもそもISとはどんな集団か、をもう一度おさらいしておこう。

「彼らは咋年6月、カリフ制を打ち立てた。これは、イスラム的には、世界征服のジハードを行うと宣言したに等しい行為なのです。アルカーイダの主張はまだ、イスラムが奪われた土地を返せ!と言うだけだから、対話の余地もあった。しかし、ISは地球全体の支配を目標に掲げています。そこでISが目指すのは、ムハンマドが生きた1400年前の戒律を厳しく強制する社会なのです」

 と飯塚教授。

 それゆえ、ISは、実際に近代社会では到底容認されない奴隷制を復活させているし、異教徒には改宗か、人頭税の支払いが命じられる。協力を拒めば処刑される。1400年前と言えば、日本では聖徳太子の時代。古舘氏らは、この時代の価値観で生きる人々と、本当に有益な「話し合い」が進むと思っているのだろうか。であれば、歴史や文化、思考の多様性をあまりに軽視した人間観をお持ちのようで、逆に恐ろしさを感じてしまう。

 飯塚教授が続ける。

「ISにしてみると、もし国際社会が“対話したい”と言うのなら、まず“俺たちの国の存在を認めろ”というところから始まるでしょう。しかし、“テロリストとは交渉しない”というのが、国際社会の共通ルール。無辜の外国人ジャーナリストを捕まえて首を刎ねる組織と交渉することは、金輪際ありえませんから、“対話”などと言っても現実味の欠片もないのです」

■公共の電波を自らのツイッターに

 そして何より、これまた近代社会の常識を遥かに超えた、ISの残虐さは先刻ご承知のはず。

 最近では10月末、アサド政権の兵士を戦車で轢き殺した動画が衝撃を呼んだ。囚人服を着せられ、両手両足を縛られた19歳の兵士に戦車がゆっくりと近づいていく。ウサギのように飛び跳ね、必死で逃げようとする若者。それを戦車は容赦なく踏み潰す。と、カメラはその下で真っ平になった死体を俯瞰し、続いて破裂した頭部をアップにする。

 11月19日の『報道ステーション』(テレビ朝日系)は、ISの美点ばかりが描かれた、イスラム国の宣伝映像を「解析のため」に5分間放映した。さらに、アメリカの誤爆で家族を失い、自らも怪我を負ったパキスタン少女のインタビューを流す。別のコーナーでは、「安保関連法案」が成立した2カ月後の国会前デモの様子を扱い、

「めんどくさかろうがなんだろうが、知っておかないと世界の糸口を見つけることは出来ませんよね」

 と、古館伊知郎キャスターは述べていた。

『報ステ』もISの宣伝ビデオを流すのなら、“轢き殺し”映像の詳細も伝えるべきである。その上で、「ISと対話」と、堂々主張すれば、少なくとも人に何かを伝えようとする覚悟は感じられるもの。しかし、それもなしに、「対話」「対話」とくり返し述べただけなのだから、それは単なる「つぶやき」に過ぎない。公共の電波を自らのツイッターにしないでほしいものである。

 国際ジャーナリストの古森義久氏は言う。

「イスラム国は自由主義、民主主義を根本から覆そうとしてテロを起こしている。彼らと一体、どのようにして“対話”が可能なのか。それで問題が解決すると本当に思っているのでしょうか。そう言っている自分たちは対話をする気もないし、出来もしない。その一方で綺麗事を言っているのですから、偽善者そのものです」

「特集 内心無理とわかっていて 『イスラム国と話し合え』という綺麗事文化人」

週刊新潮 2015年12月3日号掲載

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