【不気味HP開設で緊急インタビュー180分】7年2カ月の更生期間が水の泡 「元少年A」を闇に戻したのは誰か――杉本研士(関東医療少年院元院長)

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 再び、モンスターと化してしまう危険性が高まっている。『絶歌』を出版したために、「元少年A」の7年2カ月にわたる更生期間は水の泡と帰した。かつて更生に携わった、杉本研士・関東医療少年院元院長(76)が、闇に戻した張本人について、180分の独白!

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 神戸連続児童殺傷事件から、すでに18年が経ち、徐々に少年Aは、自らの犯した罪に向き合えるようになっていました。

 遺族に対し、わずかとはいえ賠償金を支払い、年に1回、被害者の命日が近づくと、謝罪の手紙も送っていた。しかも、その内容からは反省の意思が感じられるという遺族のコメントが新聞紙面に掲載されるようにもなりました。

 時間をかけながらも、順調な経過を辿っていたはずだった。

 関東医療少年院を後にしてから現在まで、彼は心の闇を抱え続けていたわけではありません。だが、『絶歌』の出版をきっかけにしてすべてが台無しになり、彼の歩んできた更生の道のりは水泡に帰した。

 本来ならば、幻冬舎の見城徹社長は、遺族の了承を得たうえで実名で出版する、と提案すべきでした。

 週刊新潮などに送られてきた手紙によれば、少年Aは、一旦、「関係者を悲しませたくない。出版を諦めます」と、消極的な姿勢を見せている。そこからは、遺族の心情を慮(おもんぱか)ろうとする共感性がうかがえます。しかし、見城社長は「出版を断念すれば活字文化の衰退になる」とまで言い切り、彼を出版へと駆り立てている。

 むろん、そこには、元少年Aの手記を出せばベストセラーになるのは間違いないという商業主義的な発想もあったはずです。

 とはいえ、出版社側の意図とは裏腹に、『絶歌』はこれまで息を潜めて生活することを余儀なくされた彼が、いわば自らの存在意義をかけて書き上げたもの。

 だからこそ、彼自身をして、“究極の「少年A本」”と言わしめているわけです。

 彼なりに全身全霊を傾けて書き上げた手記は出版社からおだてられ、褒めちぎられたに違いありません。

 きっと、彼自身も世間から拍手喝采を浴びることを疑わなかった。

 ところが、当然のことながら、バッシングの嵐が巻き起こり、土師淳くんのお父さんからは「息子は2度殺された」と非難されました。自ら招いたこととはいえ、予想だにしなかった反発を受けたために過度なストレスがかかり、彼の奥深くに眠っていた攻撃的、挑戦的な性格が呼び起こされた。事実、それが発露されたのが、見城社長を告発する週刊新潮などへの手紙、さらには、自身のホームページの開設だと言えます。

 誰からも『絶歌』が認められなかったことから自尊心を傷つけられ、孤独の海に再び放り出された心境に陥っている。その反動で、自己顕示欲が膨れ上がり、幼児性ナルシズムが前面に現れてきているようにしか見えません。『絶歌』の出版を機に、彼の精神状態は退行を始めてしまったのです。

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