【不気味HP開設で緊急インタビュー180分】7年2カ月の更生期間が水の泡 「元少年A」を闇に戻したのは誰か――杉本研士(関東医療少年院元院長)

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■兄役の法務教官

 1997年6月、少年Aは逮捕され、少年審判を経て、その年の10月には、関東医療少年院に収容されました。私が、そこの院長に就いたのは、翌98年の4月のことです。

 彼は、愛着障害、行為障害、性的サディズム障害による3つの症状を抱えていました。愛着障害は母親との関係に起因し、他の2つは遺伝子レベルの欠陥です。

 彼の母親の場合、恒常的な虐待などは見受けられなかったものの、生後1カ月の子どもにトイレで用を足させようとしたり、通常よりも離乳が早かったうえに、乳幼児には刺激の強い生卵を与えて蕁麻疹を患わせたりもしていた。適切なスキンシップに欠けていました。

 さらに、性的サディズムについては、生来、人間というものは、性と攻撃・支配が密接に結びついています。ただ、過剰な性衝動には前頭葉がブレーキをかけるものですが、彼の場合、それがうまく作用していない。結果、性的興奮と攻撃性が歪んだまま固着し、性的サディズムが生じたのです。それだけでなく、彼自身が『絶歌』で初めて明かしたのですが、10歳のときに祖母という最愛の人物を喪い、その直後、痛みの伴った自慰行為を経験している。それが、愛着障害と性的サディズムが複雑に絡み合う原因になった。

 私が関東医療少年院で、彼に接し始めたころは非常に危険な状態で、24時間カメラが回っている部屋で監視されていました。

 実際、陶芸の授業では、性的サディズムのエネルギ一迸(ほとばし)る、異様に牙が巨大な怪獣や極端に口を大きく開けたワニのような動物の頭などを制作した。

 時には、攻撃的な眼差しで、「早く、殺してくれ」と口走り、家族との面会も2年ほど拒絶し続けたのです。

 障害を克服する治療法として、疑似家族というものをつくり、他者との共感性を育ませようとしました。

 男女の精神科医が父親役、母親役を務めていたことはこれまでにも報じられていますが、実は、若い法務教官が兄の役を担っていた。

 あるとき、その法務教官が「相撲をやるか?」と聞いたら、彼は「いいですよ」と乗ってきた。中庭の芝生で取組を始めると、彼は何度投げ飛ばされても起き上がり、相手に挑んでいきました。最後はヘトヘトになって、2人で芝生に寝転がった。

 ほかにも、彼の担当教官というのが、まさに熱血漢を絵に描いたような人物だった。彼の前で涙を流しながら、「俺も、(被害者の山下)彩花ちゃんくらいの娘がいてな。事件のことを考えると、夜も眠れないんだよ。なんで、あんなことをしたんだ!?」と、語りかけるのです。彼にとっては、父親役の精神科医よりも、担当教官の方がよほど父親役に近かったかもしれません。

 更生の度合いが進んでくると、“ロールレタリング”という授業を取り入れました。被害者の土師淳くんの立場になり、加害者の自分に向けた手紙を書かせるのです。

 併せて、被害者の遺族が書いた本に繰り返し目を通させ、その都度、感想文を提出させたりもした。

 最初は、「すみませんでした」という単純な謝罪の言葉だけだったのに、だんだんと「自分という1人の生命が、他の生命を奪っていいのか」と、書き記すほどに成長しました。

 なおかつ、母親との関係にも改善が見られるようになった。当初は、面会に訪れた母親に、「帰れ! 豚!」と暴言を吐いていましたが、そのうち、体育館で一緒に卓球に興じるまでになりました。愛着障害の原因となった母親と、共感性を醸成させることができたのです。

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