【不気味HP開設で緊急インタビュー180分】7年2カ月の更生期間が水の泡 「元少年A」を闇に戻したのは誰か――杉本研士(関東医療少年院元院長)

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■“以外”の人間

 殺人や強姦など重罪を犯した少年は、特別な処遇が必要とされるG3というカテゴリーに区分けされる。

 ただ、そこの少年でも医療少年院に入れられるのは長くても2年です。少年Aの場合は、7年2カ月という長期にわたった。確かに、遺伝子レベルの彼の障害は完治が難しいとはいえ、社会性を身に付けたと判断できるだけの治療効果はありました。その証拠に、関東医療少年院を出てから11年余り、なんの問題も起こしていない。

 しかし、『絶歌』がそれを一変させ、少年Aを闇に戻してしまいました。

 彼が公開したホームページに、高村光太郎の『道程』の一節を引用して、「ボクの前に道はない ボクの後ろに道は出来る」と記したセルフポートレートが掲載されている。

 そこに見て取れるのは、過去を切り捨て、未来は自分の手で切り開くとしつつ、孤独に追い込んだ周囲に対する挑戦的な姿勢です。そのうえで、大量のナメクジに塩水を浴びせかけて制作したコラージュを目にしたときには、「危険だ。ナメクジの段階で済むだろうか」

 と心配になりました。

 他でもないナメクジの解剖が、彼の性的サディズムに基づく最初の行動だったのです。抑え込んだはずのマグマが爆発し、なにもかも無駄になってしまう怖れも出てきた。

 また、パリ人肉殺人の佐川一政氏と自分とを“以外”という言葉で、一括りにしている件(くだり)がある。それは、自らと違う“以内”の人間は排除するという意味です。もはや、“以内”の側の人間が何を言っても聞く耳を持つことはない。

 おそらく、彼が“以内”に留まっていたのは、出版を一旦諦めようとしたときが最後だった。そこから弾き出した見城社長や実際に手記を発行した太田出版の岡聡社長の罪は決して軽くはありません。

 更生期間を終えた彼に、今となっては手を差し伸べる手段はないのです。

杉本研士(関東医療少年院元院長)

週刊新潮 2015年9月24日菊咲月増大号掲載

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