黒柳徹子『徹子の部屋』は名舞台『蒲田行進曲』の生みの親だった

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 1976年2月に始まった黒柳徹子さん(81)の『徹子の部屋』は40年目に突入した。森繁久彌、杉村春子ら大御所俳優から子役、文化人からスポーツ選手までを相手にしてきた黒柳さん。そのなかでも印象に残っているエピソードとして、映画にもなった名舞台『蒲田行進曲』にまつわる秘話を公開した。

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 実は、つかこうへいさんの代表作『蒲田行進曲』を生み出したのは、『徹子の部屋』と言っても過言ではないんです。つかさんが、そう仰っていましたから。

 いわゆる「斬られ役」の汐路章(しおじあきら)さんをお招きして、斬られて大階段を転げ落ちていく時の「極意」をお伺いしたんです。普通は、恐怖心があるので背後の大階段を振り返り、確認してから転げ落ちる。でも、それだと出演料が安くなってしまい、後ろを振り向かずそのまま頭から落ちていくほうが高くなるそうなんです。そんな斬られ役の葛藤を話してくださったんですが、つかさんはこの放送を観て『蒲田行進曲』を思い付いたと仰っていました。事実、『蒲田行進曲』の初演は、この汐路さんの回の翌年、80年なんですね。斬られ役のお話も、『蒲田行進曲』と相まって記憶に残っています。

「特別読物 『黒柳徹子』が振り返った『徹子の部屋』1万回の余話」より

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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