日本の貧困と格差(前篇) 「年金では生きていけない赤貧の現場」――亀山早苗(ノンフィクション作家)

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相談することもできない

「息子との諍(いさか)いも増えています。『そろそろ働いたらどうだ』と声をかけると、『仕事を探しに行くから金を貸してほしい』と言う。『ちゃんと探しているのか』と叱ると、のそっと私の前に立つんです。今にも殴られそうでね。警察にも相談しましたが、誰かに危害を加えたわけではないので、いかんともしがたいと……。こんな息子になってしまったのも、私たちのせいなんだと思います」

 預貯金はすでに200万円を切っている。妻の病気が長引けば、坂口さんの生活が破綻するのは目に見えている状態だ。

「預金通帳を見るたびに心臓がどきどきするほど、不安でたまりません。妻は私が行かないと食事もとらない。少し認知症が入ってきているかもしれない、と医者に言われました。だけど、もう看病だけしてはいられない。元いた会社にすがりついて、半年前から関連会社で週3日、働かせてもらっています。月に7万円くらいにはなるのですが、それを知った息子にせびられて困っています」

 坂口さんは大きなため息をつくと、「どうしてこんなことになってしまったのか」とつぶやいた。1000万円を超える貯金があったとしても、夫婦どちらかが大病をすれば、あっけなくなくなってしまうのが現実なのだ。

 しかも、こういったケースでは、まだ生活が完全に破綻していないので、どこかに相談することさえできない。坂口さんも、妻が倒れてからは親戚づきあいをほとんどしていないし、病院の相談窓口に行ったこともないそうだ。

「他人に迷惑をかけたくないから」

 今まで社会を支えてきた人たちが、そうやって社会と縁を絶つように孤立していく。彼の場合、息子のことも頭痛のたねだが、誰にも相談できていない。

 厚労省が目安として発表している厚生年金の平均給付額は、約22万7000円。だが、総務省の調査によれば、高齢者世帯の消費支出の平均は約23万4500円にのぼる。最低限の消費支出に、年金がついていっていないのだ。

 しかも、高齢になれば健康を損ねる確率も高くなるし、オレオレ詐欺にあったり、投資だと騙されて預貯金を預けてしまうケースも増えていると、前出の藤田さんは言う。厚生年金だけでは、不慮の事態にはとても対処できない。

 河合克義・明治学院大学社会学部教授は、根本的には、年金制度の水準が低いことが高齢者の貧困を深刻化させていると言う。

「年金額が実質引き下げられていますし、国民健康保険や介護保険など、払わざるを得ない保険料が、生活をさらに圧迫している。それを支える家族も、ぎりぎりの生活をしていることが多い。貧困状態にある高齢者は他者との交流が少なく、生きがいをもっていないケースがよくあります。人間は、ただ生きるだけではなく、たまには旅行に行ったりコンサートに行ったりするような生活をすべきなんです。それが憲法に謳われている『健康で文化的な最低限度の生活』のはず。今は、その権利が崩れ去っていると思います」

 高齢者の貧困問題は、まだまだ表層に出てきていない。しかし、ギリギリの生活に不安を抱えながら、黙って耐えている人が大勢いる。それは、明日のあなたの姿かもしれないのだ。

日本の貧困と格差(中篇) 「『貧困の連鎖』から抜け出せない『子どもたち』」
日本の貧困と格差(後篇) 「風俗でも抜け出せない『独身女性』の貧困地獄」

亀山早苗(かめやま・さなえ)
1960年、東京生まれ。明治大学を卒業後、フリーライターに。幅広く社会問題に取り組む中でも女性の恋愛や生活、性をテーマとした著作を数多く刊行。『女の残り時間』『救う男たち』など著書多数。

週刊新潮 2015年3月26日花見月増大号掲載

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