「コメンテーター」は世間を映す鏡/古市憲寿

社会新潮45 2014年3月号掲載

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コメンテーターも楽じゃない

 コメンテーターというのは不思議な仕事だ。文字通り、ニュース番組やワイドショーなどでコメントをする人のことだが、必ずしも彼らは専門家というわけではない。文化人や学者など何らかの「見識」があるとされる人が、自分の専門分野とは関係がなく一通りニュースに対してコメントをするのだ。
 このコメンテーター、世間での評判は総じて良くない。「日本をダメにした元凶」という特集に組み込んでもらえるくらいだ。ツイッターなどを少し検索すれば「胡散臭い」「人の気持ちがわかってない」「勝手に代弁するな」「品がない」「芸がない」など無数の品もなく、芸もない批判が見つかる。
 橋下徹もあるテレビコメンテーターに対して「対案を出さない、批判だけのコメンテーターの典型」という批判をしていた。
 なるほど、確かにコメンテーターはよく「批判」をする。政治家の言動、芸能界の情事、社会問題などに対して、したり顔で「昔では考えられなかったことが起こってますね」と言ったりする。
 しかし、コメンテーターが「対案を出さない」と批判する橋下だが、じゃあ一体コメンテーターはどうしたらいいのかという「対案」までは出してくれない。そもそも彼自身、テレビのコメンテーター歴が長く、その時は政府批判、政治家批判を繰り返していたはずだ。なんでコメンテーターというのは偉そうに批判するだけの人になってしまうのだろうか。
 僕もコメンテーターとしてテレビに出演することがある。メディアに関わる前は、コメンテーターのことを好き勝手なことを話してお金がもらえる気楽な商売だと思っていた。しかし実際のコメンテーターは、そこまで気楽な仕事ではなかった。
 たとえば『とくダネ!』という番組では出演前日の夜に、取り上げる予定のニュース内容がメールで届く。一応下準備の時間はあるわけだが、書籍などを読み込んで本気で勉強するまでの余裕があるわけではない。
 放送日にはもちろん打ち合わせがある。資料としてそのニュースに関連する新聞が用意され、担当スタッフからその話題を取り上げる意図などが説明される。スタジオの流れが説明されることはあるが、コメントの中身を事前に精査されたり、何らかの要望が出されることもない。自分が思ったままのことを言って欲しいというスタンスだ。
 これはNHKの『NEWS WEB』という番組に毎週出演していた時もそうだった。NHKなりの制約があるのかと思っていたら、企業名や商品名を出しても何の問題もなかった。
 このように書くと、やっぱりコメンテーターって楽な商売な気がしてくる。大した勉強もせずに好き勝手なことを話せばいいなんて、橋下に批判されても仕方がない。
 しかし「好き勝手なことを話す」というのは思いの外難しいのだ。テレビのコメンテーター経験者たちで会うと決まって話題になるのが、コメンテーターがいかに大変かという話である。
 たとえば、自分が興味の持てない話題にいかに対応するか。僕が今まで経験した中で困ったのは「ロンサム・ジョージ(孤独なジョージ)死亡」というニュース。推定100歳を超えるピンタゾウガメが死亡、その種が絶滅したのではないかと騒がれたのだ。
 適当に「かわいそう」とか言っておけばよかったのかも知れないが、どう考えても大往生。しかも会ったこともないゾウガメに感情移入なんてできない。そこで「彼自身は自分が孤独だってことは認識してなかったと思いますけどね。ゾウガメだし」と言って時間を埋めた。
 さらに厄介なのは、人権が関わる問題だ。一応、日本は推定無罪が建前の近代国家。どんなに怪しいと思われる人物が逮捕されても、その人を犯罪者扱いすることはできない。だったら事実だけを伝えればいいと思うが、そんな時にもコメンテーターには話が振られる。被告が自殺する前、尼崎事件の報道が過熱していた時は「謎が謎を呼びますね」といった曖昧なコメントをしてしまった。
 また現在進行形のニュースもコメントが難しい。最近相次いだ家出か行方不明かわからない事件なども、ついつい「心配ですね」の一言でコメントが終わりそうになってしまった。

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